(18)厳島神社 「王子」と叫び子ら乱舞

激しく座板を踏み付ける小浜の子どもたち。祭りには焼き畑農耕の文化が今も息づく(魚眼レンズ使用)=大田市温泉津町小浜、厳島神社
 日中の雨が上がった2月14日、大田市温泉津町小浜の厳島神社。夜のとばりが降りるのを待ちかねた子どもたちが、町内を練り歩き、にぎやかに御日待(おひまち)祭りが始まった。全国で同神社だけに伝わるとされる珍しい例祭。石見銀山遺跡の貴重な民俗文化財の一つだ。

 厳島神社は、安芸の戦国武将・毛利元就が、石見銀山の外港として小浜を押さえるため、永禄11(1568)年に建立。船の神様として信仰を集め、神社の前を銀山街道が通じていた。

 祭りのクライマックスは、子どもたちの乱舞だ。拝殿に上った子どもたちは、スクラムを組み輪になって「王子や王子、五郎の王子」と大声で叫びながら、座板の上で跳びはねる。

 「跳びようが足りん」。大人に活を入れられ、顔を真っ赤にした男子が汗みずくになる。

 御日待祭りの起源は不明だが、石見銀山遺跡の世界遺産をめざす会理事を務める多田房明さん(47)=同市仁摩町=は「銀山の最盛期はもとより、古代から営まれていた可能性が高い」と推測。火災を防ぐ火伏(ひぶせ)祈願など、祭りを織りなす幾つかの要素の中で、とりわけ乱舞に注目する。

 例祭では、座板が割れると豊作になると伝わる。「五郎の王子」とは、小浜の神様の末子にあたる「荒ぶる神」。荒神の大いなる力を借りて大地を踏み締め、悪霊を抑え精霊を呼び覚まして豊作をもたらす。

 そうした祈りの背景に、多田さんは「日本に米作りがもたらされた初期、陸稲を栽培した焼き畑農耕の文化」を見いだす。祭りで、神への供え物として作られる「モッソウ」という竹筒飯は、国内でも珍しく、東アジアに広がる。

 石見銀山の領有と温泉津の支配に執念を燃やした毛利元就。その元就ゆかりの神社に、古代の渡来人が春を待つ信仰が今も息づくことに、石見銀山遺跡の奥深さを感じる。

2006年2月28日 無断転載禁止