震災受け島大生が立場主張

原発とどう向き合う

 平成20年度から、島根大学の総合演習では、学び続けることの意義とその方法とを伝えるために、「現代を学ぶ」というテーマのもとに、多くの先生方をはじめ、地域で活躍する事業家、法律家などの専門職の方々に講演してもらっています。

 教師として社会に出ることを考え、教員免許を取得することを考えている学生の皆さんに、これからの社会を育てる要として、そして、社会の期待に思慮深く応える教師の責任を感じて、これからの学習に取り組んでほしいと考えています。

 これから社会に活躍の場を求める大学生に、現代社会が直面するさまざまな問題についての認識を持ってもらい、問題の認識のみに満足するのではなく、問題を自ら発見し、それに取り組み、その解決を探求する姿勢と方法を学んでもらうのが総合演習の目的です。

 6月28日に私が担当した回(法文、生物資源、総合理工学部対象)では「新聞とメディアリテラシー~これからの社会人に必須の資質~」と題して、新聞を自分の暮らしに生かしていくことを、投書するという方法によって考えてもらいました。

 山陰中央新報6月2日付に掲載された天野祐吉氏のコラム『大きいことは良いことか』を読み、天野氏の主張を踏まえ、これから私たちは原子力発電とどう向き合っていくべきかを「ヤングこだま」に投稿するという形で、文章でそれぞれの立場を主張しました。   (島根大学教育学部教育支援センター准教授・福間敏之)


脱原発  安全な代替燃料に変換 

3年 足立 朝子

 今回の東日本大震災をきっかけに、私は原子力発電所はなくすべきだとあらためて思いました。原発による電力供給が大きいのは確かですが、それと同時にその危険性というリスクも伴っているからです。

 天野さんのコラムには「原発を廃止せず、安全性を強化すべきだと言っている人たちがいる」とありますが、その安全性が100%ではなく、また福島原発のように、あらかじめ分かっていた危険性に原発側が必ずしも対応するわけではないことを考えると、原発をなくし、代わりとなるエネルギーを見つける必要があると強く思います。

 成長期に利益を優先し、環境や危険性を強く顧みることなくきたのだから、この機会(多くの被害を伴ってしまいましたが)に原発に頼らない暮らしへ移っていくべきだと思います。

 原発に対する考え方は人それぞれであり、賛成派、反対派とそれ以外に分けられるため、そう簡単に答えが出るものではないし、今までに原発に強く頼ってきたし、代替エネルギーもすぐに見つかったり使えたりするわけではないので、とても難しいとは思います。しかし、反対派が成長期の反対派と違って、周りに流されず、強く異を唱え続けられたらいいなと思います。


中立派  要、不要を的確に判断 

3年 幾田 友和

 現在の経済は肥大し過ぎている。金が出回ることはとても良いことだが、今日ではその流出が裏目に出ている。大震災がそのことに気づかせてくれた。

 経済が肥大しているといえども、崩壊するのはあっという間である。次々と企業が崩壊し、経済自体が壊れつつある状況で、政府も戸惑いを隠せない。そこにきてあの原発事故である。経済成長のカギとなっていた原発も、今となってはただのお荷物である。経済という金庫がいっぱいになることに喜びを覚えた私たちは、その金庫に詰め込むことだけを意識しすぎて、必要のない物でいっぱいにしたのではないだろうか。

 金庫の中身が荷物だと分かった時、捨てなければならないが、われわれは現時点ではどれが必要のないものか判断できていない。いや、判断はできているが、原発という大きな財産を捨てることを拒み、違うもので補おうとして、知らないふりをしているだけなのだろう。

 今後、われわれが経済とともに生活していきたいのならば、どれが必要で、どれが必要でないものかを的確に判断するべきである。今が金庫の中身を整理するときなのだ。


積極推進  「モノ作り」には不可欠

4年 山本 高大

 今年3月、東日本でM9・0以上の地震が起こり、それによる大津波の影響で壊滅的な被害を受けた。その中でも特筆すべきなのは福島原発の爆発事故だ。炉心溶融により放射性物質が流出し、周囲に高濃度の放射線をまき散らす、非常に危険な状態が今も続いている。それによる風評被害で日本の製品が売れなくなり、生産者の家計が苦しくなるなど、さまざまな弊害を生んでいる。

 そのなかで、原発の危険性に注視し、原発に頼らない暮らしを求める「脱原発」の声が各地で上がっている。確かに、今回の事故が示すように、放射性物質は極めて危険であり、その後処理も非常に難しいため、安全のために「脱原発」を訴えることは当然のことだろう。

 しかし、私はあえて「原発は必要である」と訴えたい。なぜなら、日本は非常に技術が高い「モノ作り大国」であり、モノ作りに欠かせないエネルギー資源が国内で容易に入手できないからである。モノ作りが滞ることで会社の利益が激減し、さらに国民全体の暮らしが苦しくなるので、簡単に「脱原発」を訴えるべきではない。

 今回の事故は、事故に対する予防がしっかり施されなかったため、事故を予防する技術や体制が必要であると考える。原発は非常に危険なものであるが、今の日本を支えるのに必要不可欠のものである。もし、「脱原発」を唱えるのであれば、「新エネルギーの開発」か、「貧しさ」を取るか、どちらか一方になると私は思う。


頼りすぎない  電力の補完環境整備を

3年 梶本 美咲

 原発について反対かと言われると、はっきりと答えることはできない。なぜなら、私たちの現在の豊かな生活は原発など高度な技術によって成り立っているからである。

 人は豊かなものを知ってしまった以上、不便な生活には戻りたがらないのではないかと思う。クーラーの使い過ぎは良くないと広告では言いつつ、店では寒いくらいクーラーが効いている。口だけでは何とでも言えるが、いざ生活を見てみると、できていないことの方が多いように思う。

 原発を後々なくしていくとしても、今まで使ってきた電力は何で補うのか? 火力発電では燃料の石油がもっと必要になる。風力や太陽光発電では、天候によって発電量が大きく左右されてしまうため、一定量の電力を確保できない。もし、真剣に原発をなくしていきたいのなら、私たちの生活を不便にしてもいいという覚悟が必要であることを忘れてはいけない。

 夏は暑く、冬は寒く、夜は暗いのである。自然と向き合わなくてはならない。今すぐにできることではないと思うので、太陽光パネルや風車を増やして電力を補える環境を整えつつ、自らの生活も自然を主体としていけばよいのではないかと考える。原発に反対なのではない。造ったのは私たちなのだから、その代償をどう考えていくのかが重要である。


現状維持  ある程度は頼ることも

3年 野津 霞水

 高度経済成長によりもたらされた「成長」が全てであるという考え。そこで、必要とされたのが原子力発電所だった。日本をより発展させていくためには必要不可欠であると考えられていた存在が、今や日本全国だけでなく、世界中で恐怖の対象とされている。

 確かに、東日本大震災後の原発事故で多大な被害と影響が出た。しかし、これまで「成長」が全てだと唱え、原発を推進してきたはずの多くの人々が原発批判を行い、「原発はなくすべきだ」と、一瞬にして意見を変えた。反発の声はあったにせよ、それでも社会全体として望まれて造られたはずであり、われわれの生活にエネルギー源をもたらしてきた存在を、全面否定というのはいかがなものなのだろうか。

 原発に依存し過ぎるのも良くないとは思う。しかしながら、今のわれわれの生活から急に原発を取り除いた場合、途端に生活が苦しくなるのは目に見えている。代替的な措置を考えつつ、ある程度頼ることも必要だと考える。


自然エネルギー確立を 

科目等履修生 香川 祥大

 原子力エネルギーの今後の進退については、現状維持でいいのではないかというのが私の考えである。

 今回の大震災を契機に「原子力エネルギーは悪だ」と総批判するのは好ましくない。批判する人は原子力エネルギーについてどの程度、知識を持っているだろうか? 放射線がなぜ人体に有害であるのか? また、震災前まで原子力エネルギーの恩恵を受けてきてはいないだろうか? よく考えてみる必要がある。

 私は県外から島根に来る際、友人に「原発の放射線で頭が良くなるかも」などと嘲笑された。原発に不安感はあったが、実際電気代が安いとうれしいこともあった。実際、今日まで原発の恩恵を受けながら、有事の際に批判するのは虫が良すぎると考える。

 日本でもドイツのように電気料金を燃料別に選択できる制度があれば、筋の通った言い方となるだろう。そのような制度のない日本では、建設計画の段階で猛反対し、中止にすべきである。

 地球温暖化といった環境問題に注目が集まる中、二酸化炭素を排出しないエネルギーが必要である。同量の電気を生産する際、火力と比較しても、原子力は燃料が15分の1で済み、ウラン燃料500グラムで50メートルプールの水を沸騰させることができると学術雑誌で読んだことがあり、しかも原子力発電では二酸化炭素が出ない。

 原子力エネルギーは自然エネルギーで十分な発電ができるまでの”つなぎ”である。しかし、経済成長できる自然エネルギーが確立できないのなら、原子力エネルギーは必要であると考える。

煙を上げる東京電力福島第1原発3号機。左手前が2号機、右奥が4号機(資料)
島根原子力館から望む中国電力島根原発=松江市鹿島町

2011年8月9日 無断転載禁止

こども新聞