中村元・人と思想(8)大学卒論は『中論』

中村元著『龍樹』
 智慧を真摯に追求する

 「すべてのものは空である。神や世界、そして私というものすら実在することはない」

 その昔、紀元2、3世紀ごろのインドに、このように言い切った人物がいた。その名を龍樹(りゅうじゅ)といい、ブッダの教えに生きた人である。「すべてのものは空である」というこの思想は、まぎれもなくインドの大地で生まれ、この龍樹が大成させた思想である。彼の伝統を継承する者を「中観論者(ちゅうがんろんじゃ)」と称する。その思想はインド大乗仏教の根幹をなし、チベット、中国などを経て日本に伝わる。日本の仏教の根本にある思想と言ってもよい。

『中論』第24章18偈(げ)
 中村元(はじめ)は大学卒業にあたって、この龍樹の主著の一つ「中論(ちゅうろん)」をテーマに自分の卒論を手がけることになる。その経緯を中村は「学問の思い出」(東方学第90集)の中で、こう語っている。

 「浮浪人のような私を大変可愛(かわい)がって下さった一人の学者に渡辺楳雄(ばいゆう)博士がおられます。渡辺先生は『仏教をやるには空観(くうがん)がわからなくてはいかん。般(はん)若(にゃ)をやれ』と言われるのです。僕はちょっと躊躇(ちゅうちょ)したけれども、『いや、何なら私が手伝ってあげますよ』とそうおっしゃったのです」

 渡辺は中村と同じ島根県の江津市桜江町出身の仏教学者。中村より19歳上である。「般若思想に取り組め」という渡辺の意見を、中村は指導教授である宇井伯寿に伝える。

 「それから宇井先生におそるおそるお伺(うかが)いを立てたら『それは結構だ。けれども、般若じゃ一年やそこらでまとまらないおそれがある。〈中論〉だったら短いからまとまりやすいだろう、それをやれ』とおっしゃったのです。渡辺先生のご指導は大変ありがたいと思いました」

 龍樹の中論は般若思想を基調とする。「すべては空」とする龍樹の思想は、「すべてのものは実在する」という考えに立つ当時のインドの人々にとっては正反対のこと。この現象世界の崩壊を意味するに等しかった。

 人間は言葉を用いる限り、言葉の世界から逃れることは不可能な存在であると、龍樹は指摘する。

 「yはxである」という命題が成立するには主語yと述語xという二つ以上の項が必要である。言葉の世界は「xがyに存在する」という構造を持ち、次々に新たな概念世界を構築していく。この言葉の広がりを「戯論(けろん)」と言う。

 龍樹はこれが煩悩などを生じせしめ、ここにとらわれる限り、人の心の救いはないと言う。「xはyに存在する」という言葉の広がりを止滅させ、すべてのものは実在しないと知ること。これこそ、ブッダの思想が日常によみがえることだとする。

 私たちは目の前に実在するものを、リアルなものとして疑わない。しかし、このことほど不確かなものはないということを自覚させる認識手段を、龍樹は説いてくれたのである。この手段は、すべてに対する否定作業ではある。しかし、その最果てに浮かび上がるのは決して空虚な世界ではない。生き生きと輝く、大きな肯定としての日常世界なのである。

 中村元は学究の徒として真理を求め続け、時に日本の学問のあり方に苦言も呈してきた。その姿勢は、私たちの存在を含む、現象世界そのものを把握する智(ち)慧(え)を真摯(しんし)に追い求めた龍樹の姿をほうふつとさせる。

 若き日、中村は兄弟子の助言を機に、龍樹の「中論」を卒論テーマに選ぶ。それから約半世紀後、中村は「龍樹」という名著を著す。中村と「中論」の縁を覚えてやまない。

 (敬称略、滋賀・大津・臨済宗福聚院住職・佐藤 宏宗)

2012年5月27日 無断転載禁止