中村元・人と思想(9)初期ヴェーダーンタ哲学史

中村博士の恩師宇井伯寿教授
 世界の学界に誇る大労作

 1936(昭和11)年、中村元(はじめ)は東京帝国大文学部印度哲学梵(ぼん)文学科を卒業した。かねて指導教授の宇井伯寿に「卒業した後で申し聞かせることがある」と言われていた中村は宇井の自宅に挨拶(あいさつ)に行き、そこで研究上の転機を迎えることになった。

 わが国のインド哲学・仏教学研究の基礎を確立した宇井は、この時、具体的な例に則しながら中村にこんな趣旨の話をしたという。

本書の出版によって、1957年に学士院賞恩賜賞を受賞した
 「仏教研究者が最初から仏教研究に入って行くと、なかなか教義学の考えから脱出できないものである。学者は若いうちにはその源流であるインドの思想を研究して視野を広くすると、仏教を客観的にみることができる。…若いうちにインド思想の勉強をするがよい」

 師のアドバイスにより、中村は本人の言葉を借りれば「仏教に魅せられ引きつけられていたが、まずその源流としてのヴェーダーンタ哲学に没入することになった」のである。この重要な人生の節目を自ら「出発」と呼んでいる。

 中村が大学院時代の7年間、研究に没頭したヴェーダーンタ哲学はインド哲学史の主流をなす思想体系である。インド哲学思想の源泉である「ウパニシャッド」(奥義書)を主たる基盤とし、その主張は簡単に言えば、「この一切万有は、ブラフマン(梵)という唯一の根本原理から生じた」とする一元論思想である。

 このヴェーダーンタ学派では8世紀にインド最大の哲学者と言われるシャンカラが活躍したので、インドでもインド哲学史は、この学派について、シャンカラから説き起こされるのが一般的であった。

 しかし、ヴェーダーンタ哲学は彼以前に約1000年もの発達史をもっているが、当時この部分の研究は未開拓であった。中村はここに挑んだ。

 得られる限りの資料を収集し博士論文「初期ヴェーダーンタ哲学史」によって、この未知の1000年の思想史を再構築した。その量は膨大で、論文はリヤカーで大学に運び込まれ指導教官をうならせたという。

 論文は1943年に出版されるはずであったが、戦争で延期となり、戦後、1950年から1956年にかけて、ようやく出版の運びとなった。「初期のヴェーダーンタ哲学」「ブラフマ・スートラの哲学」「ヴェーダーンタ哲学の発展」「ことばの形而上学」という4巻約2000ページからなる、わが国が世界の学界に誇ることのできる画期的な大労作である。

 この論文により、中村は1943年、文学博士の学位を得、かつ宇井の後任として30歳の若さで助教授に抜擢(ばってき)された。この大著で1957年、日本学士院賞恩賜賞を受賞している。私は博士の署名入りの全巻を結婚記念に頂き、わが家の家宝としている。

 この研究は世界から高い評価を受けた。英訳出版の要望がしきりとなり、ハーヴァード大からの資金援助で1976年に翻訳が開始された。この英訳は、英語のみならず高度な専門知識が必要で、量も膨大だった。私も一部を担当したが、困難を極めた。上記最初の2巻の英訳は、16年の歳月を経てようやく1983年にインドの出版社から公刊された。

 この博士論文は、もともと構想されていたように、1989年には、1000ページ近い「シャンカラの思想」1巻が加えられ、それまでの4巻と併せて「インド哲学思想」全5巻として完結した。4巻中、最後の2巻の英訳は中村の没後、東方学院発行の「『東方』中村元博士三回忌特集号」(2001年)として、また2004年「A History of Early VedAnta Philosophy, Pt. Two」としてインドの出版社から刊行された。第5巻目の英訳は遺憾ながら未着手のままである。

 (敬称略、東方研究会理事長・前田 專學)

2012年6月3日 無断転載禁止