中村元・人と思想(13)初めて憧れのインドへ

クトゥブ・ミナールの鉄柱(デリー)にて
 大地と生活を全身で体感

 中村元(はじめ)が初めてインドを訪れたのは、米国スタンフォード大での1年間を終えた1952年(昭和27年)の夏である。

 西海岸から北米大陸を横断、ニューヨークへ。船で大西洋を渡りベルギーのアントワープに着き、南にローマへ下った。ここから空路、ボンベイ(現・ムンバイ)に入ったのは8月31日のことだった。

 インド哲学・仏教学を専門とする中村にとって、インドはどうしても訪れたかった地であった。

 インド思想研究で、インドの社会的現実、歴史や生活の姿を知らないというのは、中村が最も困惑するところだった。インド人の思想理解は「インドの風土に即した歴史的現実を注視することによってのみ可能」との思いがあった。

 戦中戦後の貧しい研究生活の中でも「インド人の精神に食い入り、その生命と取り組むような研究をしたいと思うなら、どうしてもインドそのものを知らなくては」と願い、「生きているインド人の生活と魂にぶつかりたいと思う気持は、どうしても押さえることができなかった」と語っている。

 それだけに、初めてインドの大地を踏みしめた喜びは、ひとしおであった。

 ボンベイの空港から都心部へ向かう車窓から、木々の間に家々の明かりが点滅するのを見た時「わたくしの心は躍り上がった」と、その興奮を記している。

 約半月後、カルカッタ(現・コルカタ)から帰国の船に乗るまで中村はデリー、アグラ、ベナレス(現・バナラシ)、ブッダガヤー、パトナなど北インド各地を巡った。

初めてインドの地に立って。クトゥブ・ミナールの鉄柱(デリー)とともに
 インドの旅はつつましいものであった。旅の途中、所持金に余裕がなくなった折には、土地の人が自宅に泊めてくれたこともあった。インド独特の平らな屋根の上で、涼やかな風に吹かれ、月の光を浴び、満天の星を眺めながら眠りについた経験を「何ともいえず、すばらしい心持ちであった」と述懐している。

 もちろん快適な体験ばかりではなかった。具体的な表現は避けているが、インドを訪れて初めて知った「ぞっとするような嫌悪感を起こさせるもの」にも遭遇した。

 出国前、カルカッタの学者たちとの会合ではサンスクリット語であいさつをし、出国の際にはコレラの予防接種証明がないとの理由で許可が下りず、急きょカルカッタ大の医者から予防接種を受けるといった経験もした。

 すべてが、全身全霊でインドを理解しようとした中村にとって得がたいものだった。

 「仏典やヒンドゥー教の書物に出ていることを一つひとつ自分の目と耳で確かめることができた。五体投地の礼拝も、ガンジス河の沐浴(もくよく)も、牛のひとり歩きも…」と記している。

 中村は、思想の理解には「その思想が生まれ、はぐくまれた現地を踏査し、そこの風土や人間の生活を肌で知ることが不可欠」だと言っている。風土や民衆の持つ生活感情などは、古代から現在に至るまで、地球の大変動でもない限り、さほど大きな変化がなかったというのが基本的な考えである。

 インドに魅了された中村は、この後、数年おきに機会あるごとにインドを訪れ、それは20回を超えている。単にインドの歴史を語る遺物や遺跡ばかりでなく、風土や人間の姿に見られる、生きたインドを知ろうとの思いを持ち続けていたからである。

 これもまた、中村の知の根元の一つだった。

 (引用はすべて「学問の開拓」)

 (敬称略、東方研究会研究員・鈴木 一馨)

2012年7月1日 無断転載禁止