中村元・人と思想(15)紙上座談会(下)

左から奈良氏、前田氏、釈氏
 <出席者>
前田 專學氏 東方研究会理事長
奈良 康明氏 東方研究会常務理事
釈  悟震氏 スリランカ国立ペラデニア大客員研究員


 司会=中村元(はじめ)先生は、1952年に米国から帰国、教師としても本格的に仕事をされます。先生方は長い間、中村先生の教え、指導を受けてこられました。

 前田=帰国後すぐ「インド思想史」を講じられた。私が受けた先生の最初の講義です。教壇に立つとやおら天井を見上げながら話し始め、しばらくして何を思い出されたのか、突如呵(か)々(か)大笑、また話を続けられました。度肝を抜かれましたが、講義は斬新で明快、大変興味深いものでした。

南インド、タミルナードゥ州マドゥライにて。座禅を組む中村元博士
 奈良=中村先生のお話はいつも明快でした。NHKのテレビ番組で何度もご一緒しましたが、台本は簡単で、いろんなテーマをアドリブで話されるのだけど、主張はいつも簡潔明瞭。舌を巻きました。一度、「よほど準備されるのでしょう」とお聞きしたけど、はぐらかされました。

 釈=講演の場合でも、最初は「なんでそんな話をされるのか」といった感じですが、最後にはきちんと話をまとめる。それも聞いて分かりやすい形にして。

 奈良=テレビの内容を後で単行本にする場合、「テープ起こし」が私の所に来ます。でも、先生の話された部分はほとんど、手を入れる必要がない。話された言葉が、そのまま文章になる。こんな話し方をされた方は、故松原泰道先生と中村先生のお二人くらいでしょう。

 釈=話される時は、ノートや原稿を準備して、テキストにはたくさん付箋(ふせん)がついてました。話は緻密(ちみつ)でよく分かる。質問には本当に丁寧に詳細に答える。傲慢(ごうまん)さが微塵(みじん)もなかった先生ですが、根底にあったのは、人としての優しさでした。

 司会=教え子たちにも優しく指導された?

 前田=もちろん、厳しくもありました。ただ、先生の配慮はあまりに高遠で、その時には分からない。ずっと後になって、指導いただいたことに気がつくということばかりでした。

 奈良=私はインド留学から帰国して間もなく、先生から「インド思想」に関する出版物に「ヒンズー教について書け」と言われまして。ためらっていたら、「君はインドでヒンズー教徒の生活を見てきたではないか」と激励されました。必死に書きました。後になって、自分の専門領域が大きく広がっていることに気づきました。

 前田=先生は最初の米国、欧州、インド訪問の折、各地で著名なインド学者、仏教学者を訪ねて回られました。これは日本の若い研究者たちのためでもあったのです。帰国後、先生はこの時に会われた海外の著名な学者の元へ学生たちを次々と送った。私もその1人でした。

 奈良=教え子の手掛けていることをよく見ていて、出版社から原稿依頼などがあると、その領域を専門にしているお弟子さんに「君、これを書いてみたまえ」と言われる。

 釈=そんな時、尻込みして「できない」と断ると、二度と話をいただけなくなるから、必死に書きました。

 奈良=先生は意図的にそうされていた。一つには「勉強しろ」という激励、二つには領域の広がりと学殖を深めるよう心がけよ、という指導でした。

 前田=先見の明のあった先生は、虚学の最たるインド哲学や仏教学の学生たちの将来を常に考えておられた。

 奈良=昭和28(1953)年に私が卒業した時、大学院に進む学生に「研究者として立っていくことはとても難しい。しかし、水を飲んででも我慢して研究を続けるように。そうすれば、おのずと道は開ける」と激励されました。実際、私の同僚たちは博士課程を終えて留学、帰国して何とか研究者としてのポストを得た。

 前田=後に東方研究会をお作りになったのも、理由の一つは若手研究者の育成、救済のためでした。

2012年7月15日 無断転載禁止