中村元・人と思想(16)学問への底知れぬ情熱

東京・杉並の自宅書庫で資料を調査する中村博士。目当ての資料を見つけるとその場で立ったまま読みふけることもしばしばだった
 勉め強いる中に楽しみ

 中村元(はじめ)博士がお元気で東方学院の院長を務めていたころ、博士が学院に出勤する日には、世界中からさまざまな訪問者があった。

 ある時、一人の来訪者があって案内すると、その後、部屋からはフランス語やドイツ語の会話が聞こえてきた。来訪者は一人のはずなのに、なぜ幾つもの言葉が飛び交うのか。不思議に思って後で博士に尋ねた。

 すると、「フランスの思想のことを話している時にはフランス語で、ドイツのことはドイツ語で話してきたので、それに合わせたのです。やはりそれぞれに国言葉で話すのが的確ですから」という返事だった。私たちは、ひたすら感心、恐縮するばかりだった。

 博士は語学の天才だったのだが、同時に、これは間違いなく博士の努力の賜物(たまもの)でもあった。

 博士が80歳を超えていた時のことと思う。何かの折に、「いやぁ~、ヒンディー語はなかなか難しいですね。サンスクリット語は何とかなるのですが、ヒンディー語は手ごわい」と言われたことがあった。

準備してきたカードを繰りながら講義を進める中村博士。東京の大手町で毎週開催された東方学院の講義にて
 実はこの時、博士はヒンディー語を勉強し始めていた。それは、「中村元選集」の近現代の項目の執筆のために、インド近現代の思想家の著作を読む必要があったからだったと記憶している。「今度インドに行くので、その折には現地の先生について勉強しようと思います」と話していた。実際インドに行くと、ホテルにこもってマンツーマンでみっちりヒンディー語を学ばれたようである。その後、気づいた時には、博士はインド近代思想家の原典を大変なスピードで読んでいた。

 博士は、およそ「学問」ということに対しては、何事にも手を抜かず、情熱を傾けてきた。どんな小さな講義、講演にも綿密な原稿を準備して臨み、アドリブでお茶を濁すようなことはなかった。

 例えば、私が1990年前後にお手伝いしていた東京・大手町での「在家仏教教会」の授業でもそうであり、また、どんな質問にも実に丁寧に答えた。自らが講じる立場となった今、あらためて博士の偉大さを痛感している。

 「私には秘密の握りこぶしはない」というブッダの言葉を引用して、「自らの持てる力の全てを包み隠すことなく、講義をし、書くことで明らかにしたい」と語っていた。来客のない時などは、本当に寸暇を惜しんで原稿を書いていた。

 その博士から、「学問をして初めて疲れを感じました」と言う言葉を聞いたのは、やはり博士がヒンディー語を勉強していたころのことだと思う。耳を傾けていると「やはり、80を超えると徹夜はこたえますね」と言われ、私たち一同は唖(あ)然(ぜん)としたものである。

 博士は、さまざまな文章の中で、しばしば「勉め強いる」ということを書いている。時には自分を引き立て、支えてくれた人々に報いるため、自らに「勉め強いて」いることもある。しかし、博士が「勉め強いる」と言う時、恐らく、それは「学究者として不可欠、基本的な姿勢、態度」を指しているのである。

 この徹夜話の時、「学問をするものは、強いて励まなければならない。私もそのようにして今日までやってきました」と言われた言葉は、今でも忘れられない。

 そしてある文章では、若い人たちに向け、こんなふうに記している。

 「勉め強いること、学問の苦しみの中に、計り知れない楽しみがあることを漠然とでも感じとっていただければ幸いである」(学問の開拓)。

 (敬称略、中央大大学院教授・保坂 俊司)

2012年7月21日 無断転載禁止