中村元・人と思想(17)普遍的思想研究の必要性

「人間のいのちの内奥の本質にふれる」思想研究を目指し、世界各地の思想を時間軸に沿って比較研究した成果は『世界思想史』全4巻として結実した。
 知見深めて社会に還元

 中村元(はじめ)博士は1957年、「初期ヴェーダーンタ哲学史」という研究で、日本学士院恩賜賞を受けた。これは古代インド思想の中でも有名な、ヴェーダーンタというヴェーダを中心とする思想の研究である。このことは、博士がインド哲学の専門家であることを意味しているが、博士はインド思想を深く知るため、古代ギリシャの思想なども広く学んでいる。

 その成果の一つが、主要著作の一つ、「世界思想史」である。これは「古代思想」「普遍思想」「中世思想」「近代思想」の4巻からなり、古代から近代に至る思想を網羅的に紹介している。単にどのような思想があったかを列挙するのではなく、キーワードを中心にさまざまな思想を特徴付けている。

 例えば、「普遍思想」(「第四章 目的に向かっての実践」)で、「人間の望む最高の境地、最も願わしい究極の境地とは如何(いか)なるものであろうか」との、問いに対して、次のように述べている。

 まず仏典では、宗教的実践の目的は、「われわれのエゴに関する迷いを除去すること」であったとする。その実例として、パーリ語の原始仏典「スッタニパータ」を挙げ、そこに出てくるニルヴァーナ(涅槃(ねはん))と内容の共通する説を道教の根本経典「荘子」から紹介している。

 また、プラトーンの対話篇「ファイドーン」やキリスト教との比較を行い、一つのテーマについて、さまざまな思想がどのように説いているかを比較している。

インド人にとって、こころの清らかさや安らぎ、さとりの知恵を象徴する花・蓮華(れんげ)。インドの国の花となっている。
 このように思想を比較することを重要視し、博士は1974年には比較思想学会を立ち上げている。現在では、さまざまな思想を比較することは特別なことではないが、博士の時代には画期的なことであった。当時はまだ、欧米中心主義の考え方が主流で、思想といえば、古代ギリシャ以来のヨーロッパの思想のみが研究されていたからである。

 さらに言えば、博士は思想を単なる論理とは考えていなかった。1973年、東京大学を退官するに際の最終講義では、「インド学は『エジプト学か』」という問題を提起している。

 ヨーロッパにおけるエジプト学というのは、現代文明と連続していない古代エジプトを研究する、過去の遺物としての研究だという。そして、彼らのインド学も、その対象がインドになっただけで、インドへの共感などに乏しく、その研究方法や態度は同じだとする。

 一方、日本の場合、インド文明は、現代にまで生きた影響を及ぼしている。それだけに、インドの思想を研究するにあたっては、ただ歴史を追うだけでなく、「その心の中の苦悶(くもん)の呻(うめ)き声を聞きとらねばならぬ」と言う。個々の諸宗教・諸哲学の諸相を研究することによって、インド思想史の全体が構築される。その上で、インドや西洋の思想といった区別を超えた、普遍的な思想の研究が必要だと言う。何よりも普遍的な思想は、あまねく人々に大きな影響をもたらすからである。

 博士によれば、特にインド思想は、世界の思想潮流と共通する部分があると同時に、独自のものがあり、それは、内心のやすらぎをもたらし、人類に平和を実現するものである。

 思想とは、現在をよりよく生きるための道具であり、自らを深め、「生き方」を深めるものとの考えであった。

 書斎に座って文献を読み、それを研究するだけでは、自己満足に過ぎない。得た知見を自分の体験や理解に照らし、深めていく。それを社会に還元する。これが個人のやすらぎだけでなく、人類の平和に連なる道だと考えていたのだと思う。

 (駒沢大学非常勤講師・奈良 修一)

2012年7月29日 無断転載禁止