中村元・人と思想(20)インド思想に学ぶ寛容の精神

ヴェーダーンタ学派の宗教融和の思想を受け継ぐラーマクリシュナ・ミッションの本部、ベルール・マット。融和の象徴として、外観に諸宗教の建築様式が取り入れられた
 異なる世界観を包括

 インドは言語も文化・思想・宗教も実に多様である。それらが、対立と共生を繰り返しながら、数千年の歴史を刻んできた。この中で、多様性を雑居させつつ、ゆるやかな統一・調和を模索する思想的営みも活発だった。

 固定的なものの見方を避け、「空」「中道」「無我」を説いた仏教、多面的存在観に裏打ちされた相対主義的真理観に立つジャイナ教もまた、そんな寛容融和の精神を育んできた。

 ブッダ以前に成立した古いウパニシャッド思想は、世界(大宇宙)と自分(小宇宙)は本質的には一つだという「梵我一如(ぼんがいちにょ)」の境地・洞察を基本としている。

 一つの絶対的真理のもとに、種々の相違性・多様性を包括しようとする立場である。このウパニシャッド思想を統一的、体系的に解釈しようとするのがヴェーダーンタ哲学である。この思想形成の解明が、インド哲学・仏教、比較思想の分野において前人未到の業績を挙げた中村元(はじめ)博士の出発点であった。

 博士のヴェーダーンタ哲学研究の精華は、「インド哲学思想」(全5巻)にまとめられている。ここでは、その中の「インド思想の諸問題」で論じている「異なった哲学的世界観の対立と宥和(ゆうわ)」の内容に注目したい。

中村元博士がインド思想の寛容・融和の精神を論じた『インド思想の諸問題』(旧版・中村元選集第10巻)
 博士がここで「哲学的世界観」としているのは、サンスクリット語の「ダルシャナ」という言葉である。ダルシャナは一般に、西洋の哲学に対応する概念と理解され、「インドにおける哲学」として紹介される。しかし、西洋哲学とは異なり、ダルシャナは解脱(げだつ)といった宗教的な最終目標を掲げ、議論されるテーマも神・霊魂・因果応報など宗教上の問題が多い。

 その意味で、仏教もジャイナ教もダルシャナの一つである。ダルシャナは個人の思想というよりも、たえず解釈を更新しつつ、伝統的に保持されてきた思想・教理体系というべきものであった。

 しかし、単なる宗教でもない。伝統・伝承に閉じこもることなく、異なるダルシャナ間で、論理に訴えて哲学的な議論を重ね、西洋哲学に匹敵するような論理学や認識論を発達させた。ダルシャナとは、中村博士が言う「哲学的世界観」なのである。

 ヴェーダーンタの思想家は、相異なるさまざまな「哲学的世界観」を階層的に序列付けた。唯一にして最高、絶対不二の真理へ登りつめる途上にあって、それぞれを、固有の意味を受け持つ段階的真理ととらえた。そして、『すべてのダルシャナ』を序列的に組み込んだ総合的な体系を構築した。

 ドイツのインド哲学研究者P・ハッカーはこれを異なる世界観を手前みそ的に序列をつけて受容した、単なる「包括主義」にすぎない、「寛容精神」などではないと批判した。

 しかし、中村博士はより懐深く、ダルシャナをとらえたと思う。博士は、異なる世界観を包括的に通観する知的営み自体を、「哲学学」もしくは「世界観学」と呼んだ。

 ヴェーダーンタの世界観学について、博士は「ヴェーダ聖典重視の傾向を未(いま)だ脱却していない」とその限界を認めつつも、ここに「あらゆる思想にその存在理由と意義とを認めるという寛容(Toleranz)の精神的態度」があるとしている。たとえ手前みそ的でも、異なる世界観を排除せず中にとり込み、思想的対立を超えようとする姿勢を高く評価したのである。

 多元的価値観の共生が強く求められる今日の状況である。博士が着目し取り上げたダルシャナ、哲学的世界観は、大いなる可能性を秘めた、平和共存の思想とみなしうるだろう。

 (東京大大学院教授・丸井 浩)

2012年8月19日 無断転載禁止