中村元・人と思想(21)汝はそれなり

現代インドを代表する思想家でもあった第2代インド大統領ラーダークリシュナン博士から「知識の博士(Vidyavacaspati)」の学位を授与される中村博士
 改革的解釈と実践

 仏教学者としての中村元(はじめ)博士の仏教研究にあたっての精神は、広く人類の歴史的ならびに思想史的な一般法則の摘出を目指すところにあって、狭い護教的精神とは無縁のものであった。この姿勢は博士の近現代インド思想の研究においても、まったく変わるところはなかった。

 比較思想と世界思想史の構想のもとに、先生が喝破した近現代インド思想の本質は、インド学の大家、東西思想の大家だったラーダークリシュナン博士が「西洋の宗教と東洋の思想」に記した次の言葉に集約されている。

 これは、アフリカで医療活動に献身した宗教学者のシュヴァイツアー博士が講演で、ヒンズー教の聖者を「己の救済しか考えない、ヒューマニズムとは無縁の超倫理的存在だ」と批判したことへの反論である。

 「シュヴァイツアー博士は、〈汝(なんじ)はそれなり〉というウパニシャッドの偉大な文句が、倫理的活動と結合していることを忘れている。聖者は、彼自身および他人が生き、動き、存在しているところの根拠としての宇宙の心〈それ〉自身のうちにある。私の周りにいるすべての人〈汝〉は、時間空間的に違った点にあり、存在の程度を異にする〈それ〉、つまり宇宙の心、私自身なのである。『一切の生き物は自己に他ならない』と体得すると、人はもはや利己的には活動せず、すべての生き物のために活動するようになるのだ」

 ここには、古代以来のインド思想を貫く根本原理が示されている。そればかりか、ヒンズー教が従来の退嬰(たいえい)的姿勢を脱し、本来の革新性をもって、大乗的ヒンディーイズムとして現代によみがえる可能性まで示唆されている。

近現代インドの思想家たち
 そして、中村博士はその著「現代インドの思想」の中で、19~20世紀に登場した、個性豊かな近現代インド思想の改革的聖者たちの姿を紹介している。

 圧倒的な神秘体験と人格神への絶対的な帰依、バクティ・ヨーガを通じて、伝統インドの精神性の深さと無私の精神を一身に体現、現代インドのあけぼのを告げた宗教的天才ラーマクリシュナ。

 その衣鉢を継ぎ、インドの精神性の高さを、その雄弁をもって世界に知らしめ、慈悲と奉仕の精神に基づくカルマ・ヨーガを実践した救国の預言者ヴィヴェーカーナンダ。奥深い宇宙的スピリットへの共感をベースに、人間的神秘を多様な芸術に託して繊細無類に表現したタゴール。真理への絶対帰依の精神に従い、無傷害と不服従の精神を唯一の盾に敢然と権力に挑んだインド独立運動の守護神ガーンデイー。

 合理的精神に従い、国際政治の中で終始、気高いな政治的理想を貫こうとしたネール―。不可触民に生まれながら最初の法務大臣となり、インド憲法草案を起草し、以後釈尊の教えの復活を通して、不可触民の解放に専念したアンベードカル。

 急進的独立運動の闘士として名をはせた後、一転啓示に従って隠せい。伝統インドの梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想「汝はそれなり」を近代西欧の進化思想で再解釈し、人類の霊的進化の道を説いたオーロビンド。

 全人類に共通な永遠の普遍的真理、ダルマの実在を確信し、もろもろの思想・文化が独自性を持ちつつ、高貴な世界市民誕生に向けて脱皮することを念じて、学問と政治において伝統と革新の統一を目指したラーダークリシュナン。

 実に彼らは、それぞれ独自の立場から、伝統インドの根本精神〈汝はそれなり〉の革新的解釈と実践とに、等しく全人格を賭けたのである。

(東方学院講師・山口 泰司)

2012年8月30日 無断転載禁止