中村元・人と思想(22)成果蓄積した膨大な著作

自宅書斎にて著作にいそしむ中村博士。この書斎から博士のあの膨大な著作が生み出された=東京・杉並
 晩年まで最新最良追究

 13年前、当時、東方学院が発行していた雑誌「東方」を「中村元(はじめ)博士追悼号」とすることになり、博士の著作目録作成を手伝った。博士の著作や論文の多さは十分承知していた。まず「学問の開拓」所収の「著作論文目録」や、東方研究会(現・中村元東方研究所)の「年度報告」に掲載した補遺の電子データ化に取り組んだ。

 その一方、掲載漏れや誤植調べ、それ以降の著作・論文の調査があった。これを限られた時間で行わなくてはならず、幾つもの雑誌をひっくり返した。結局、目録だけで追悼号の80ページを占めた。著作や論文の膨大さの一端を体で感じることになった。

 しかし、その余得というべきか、多くのことに気づかされた。あるいは、調べる中で、「学問の開拓」などで博士自身が振り返った研究の軌跡に、一つひとつ合点ができたというべきだろうか。研究の分野間の連関と広がりが、著作や論文という形で発展していくありさまに興味をそそられ、時間を忘れることもあった。

 博士の手による「著作論文目録」(「学問の開拓」所収)の目次は、新しい思想体系への試み(文明論)で始まっている。哲学や宗教に関わるトピックス中心の論である。

 次に仏教の背景と歴史に沿い、インド思想史全般から専門的な各論、現代と古代の歴史的社会的考察、仏教一般とその地域的展開と続く。そして日本思想・日本仏教に至った後、博士の樹立した比較思想・世界思想史への試み・文化交流といった論の分類が登場する。

 目をひくのは、どの分野でも、若いころからの論文がみられることである。研究の初期から、博士が広範な分野で、研究成果を蓄えていったことがよく表れている。大きな構想が当初から存在していたことすらうかがえる。並外れた語学力と豊富な知識がなければなし得ないことである。

 雑誌などへの連載は、発展的に著作へと深化していく。そして新たな可能性を内包しながら、広範な研究分野の基礎を担う。思索はとどまるところがないかのごとくである。

博士の著作目録を掲載する『東方』第15号・中村元博士追悼号
 最大の収語数を誇った「佛教語大辞典」(1975年)が「佛■(教のつくりの十がメ)語邦譯辭典」(1948年)に起源をもち、「広説佛教語大辞典」(2010年)へと発展していったのも同じことだと言えよう。

 また、わずかな期間ではあるが、「中村元選集[決定版]」(1988~99年)出版を手伝った。論文を集める著作集とは異なり、それまでの研究成果に立脚し、さらに新しい研究成果を盛り込んでいったものである。

 決定版は全32巻別巻8巻にもおよぶ。広範な分野で、常に世界的な研究の動向に目を向け、また自らの研究を発展させていかなければならない。いかに多くの時間が決定版用の原稿に費やされているのかを、編集関係者から側聞した。原稿は既刊の著作・論文をもとに、新たに加筆修正が行われている。晩年においても、博士がなお最新最良を目指していることを示すものであった。

 博士はよく「学徒」という言葉を使った。学生・生徒のほかに学者・研究者を意味する語である。博士の思想活動の跡を追い、著作への意欲を肌で感じる機会を得てきた者として、膨大な著作を前に、研究への情熱だけでなく、学徒としてのあり方に思いをいたせば、今なお身が引き締まる思いである。

 (中村元東方研究所・研究員・有賀 弘紀)

2012年9月1日 無断転載禁止