中村元・人と思想(23)中村博士の著・訳書「私の1冊」(上)

多くの人々に読み継がれてきた中村元博士の著作。上から「般若心経・金剛般若経」、「ブッダ入門」「仏典のことば」、「東洋人の思惟方法」
 心に響く経典/奥深さに感銘

 東洋人の思惟を解説


 膨大な中村元(はじめ)博士の著書、訳書は、多くの研究者、一般読者に読み継がれてきた。博士が設けた東方学院で教え、学ぶ人々が愛読する博士の著・訳書「私の1冊」である。


 「般若心経・金剛般若経」

 仏教への理解を深めようと思い立ち、60歳をすぎて大学に入学した。おぼろげながら仏教への手がかりがつかめるようになったころ、「般若心経」をサンスクリット語原典から解読することを試みた。きっかけとなったのが本書である。本書の原典からの邦訳と脚注は、初心の私にとってまたとない解読の指針となった。本書に導かれつつ先人のさまざまな著書や論文に触れ、仏教の深遠な教えへの理解を深めることができた。

 それ以来、龍樹の「中論」の注釈書「プラサンナパダー」の原典の解読を進め、「空」の世界に触れつつ充実した日を過ごしている。この「空」ということばを使うことなく「空」を説く「金剛般若経」もまた心に響く趣深い経典である。

(岩沢庄司 横浜市)

 「ブッダ入門」

 偶然、サンスクリット語を学び始め、その縁で「ブッダ入門」を読む機会を得た。随所にサンスクリットの語源や漢訳、南伝上座仏教の聖典語であるパーリ語との比較が丁寧に書かれている。その妙味、奥深さには感銘することが多い。

 私の歴史的ブッダに対する知識は、数十年前の高校時代の教科書での余話の域でしかない。しかし本書は、現在のインドの慣習などの話も交え、分かりやすい。概略的だが、ブッダの生涯と教えを知るよい機会となった。

 同時に、本書から課せられた宿題もある。例えば、「仏教はドグマから遠い考えである」といった言葉。また、マガダ国の大臣をブッダが七つの法で諭したという仏伝への考察。遊女アンバパリーへのブッダの接し方など。いずれも、人間ブッダの哲学と行動を時を超えて垣間見たように思われる。あらためて学び、考えなくてはならないテーマだと思う。

(安東幸穂 名古屋市)

 「仏典のことば現代に呼びかける知慧」

 この夏も大津市の中学校で起きた「いじめ」が社会問題となった。今から10数年前に、この「いじめ」問題について、中村元博士は「『人として生きる』という教育がなされなくなって、風潮が『獣』的になったからです」と分析。その原因は「国家または自治体による教育が腐っているからです」と言及している。長年、大学教育の現場にいながら、愛想を尽かし、私塾を設けた博士の実感ともいえる。本書は1987年に経団連会館で行われた、後世に残る講演録である。

 「仏教と経済倫理、仏教と政治倫理、人生の指針」の3章からなる。精神的荒廃をきたす今の世相を憂い、後の世代のため、日本立て直しの指針へ、との切なる願いがどの行間からも伝わってくる。

(桜井俊彦 東京・豊島)

 「東洋人の思惟方法」

 外来文化の受容の仕方には、国それぞれで独自の方法があって、根本にはその国の慣習や実情に合わないものは取り入れることはないという暗黙の了解がある。つまり、民族の特性に合った方法でしか、外来文化は受容されないということだ。外来文化の一つ、仏教も例外ではない。

 その観点に立つと、仏教文化の受容の仕方こそ、民族の思惟(しい)の特性を表しているのではないだろうか。そんな切り口を一貫して保ち続けているのが、この書のユニークさだろう。五つの民族(インド・中国・日本・チベット・韓国)の思惟を、ここまで分かりやすく説いた書は、かってなかった。初版から60年以上経ても、これを凌駕(りょうが)する書は現れていない。

(森秀雄 東大阪市)

2012年9月13日 無断転載禁止