中村元・人と思想(25)「松江名誉市民」に

 故郷へ熱い思いはせる

 1989年、中村元(はじめ)博士は松江名誉市民に選ばれた。松江市制100周年の年である。「インド哲学、仏教学、比較思想の分野で斬新・独創的な研究を行い、1千点を超す著作などを著した」ことが評価された。文化勲章など数々の栄誉に輝く博士だが、故郷松江からの「名誉市民」は特別なものであった。100周年記念式典の講演では「『松江市のことは1日として忘れたことはなく、感激で胸がいっぱいです』と声を詰まらせた」と、当時の山陰中央新報は報じている。

 博士が松江に住んだのは幼少時。また博士が亡くなって十数年。地元で直接、博士を知る人もわずかになった。ただ、その人々の話に共通するのは、博士の故郷への熱い思い、親しみと誇りである。

 博士がかつて住んだ松江・奥谷の家の近くに萬寿寺がある。寺が発行する「花園だより」(平成23年9月号)に博士を知る勝部秀明さんの記した「中村元先生対面記」が載っている。博士が松江工業高校の校訓制定にかかわった時の話で、編集者で檀家(だんか)総代の黒﨑行雄さんが勝部さんに依頼したものである。

 30年ほど前、勝部さんが勤めていた松江工業高校では、新たに校訓を制定することになった。決めかねている時、同僚の藤脇久稔氏から、「中村先生に裁定をお願いしては」との提案があった。藤脇氏は奥谷にある春日神社の宮司でもあり、中村家は代々、春日神社の氏子総代だった。

 博士の選定で校訓は「修道創意」に決まった。「修道」は高校創立時の校名を継承、自律自学の精神を意味する。案を作成した勝部さんは校長と、お礼に東京の博士宅を訪れた。

 「訪れると、奥さまとお二人にこやかに、『お待ち申し上げておりました』と歓待してくださり、感激しました」と勝部さんは話す。

 博士は故郷の教育には、格別の気持ちがあったようである。現在、島根県に勤める福賴尚志さんの博士への思い出も、教育とかかわっている。

 福賴さんは受験生時代、隠岐で開かれた日本比較思想学会で中村博士の講演を聴いた。「学問とはいいものだ、と感じた」と話す。後に就職した県で学校教育関係者向け広報誌を担当した時、執筆者候補として、真っ先に博士の名前が浮かんだ。「断られる」と思いつつ、執筆依頼の電話をかけると、「島根の教育にかかわれることであれば」と快諾を得たのだという。

 この時、博士は当時起きたオウム真理教事件(1995年)を取り上げた。高学歴の人間が残虐な犯罪に及んだことに触れ、戦後教育の問題を指摘している。

 同じ時期、山陰中央新報の東京支社にいた引野道生さん(現編集委員)も、この事件で増していた社会不安について、中村博士にインタビューしている。電話で依頼すると、「松江の方ですか。懐かしいなあ。お会いしましょう」という返事。「一面識もない若造に快く会っていただいた」と言う。

 一連の事件について、博士は両氏に、問題の根の深さと、「日本人の健康な精神を、個々人が取り戻す努力の大切さ」を語った。同時に、そんな時代にこそ、あらためてふるさとを見直すことを勧めている。島根に残る古風だが厚い人情、思いやりの精神に、見つめなければならないものがある、というのである。

 引野さんは「博士は『それが失われた日本人の温かいものを取り戻してくれるのでは』と語った」と話す。私たちに、島根の人間としての自覚と反省を促す言葉である。

 (中村元東方研究所研究員・上野 敬子) 

1989年、松江市名誉市民として松江市総合文化センタープラバホールであった市制100周年記念特別講演会で講演する中村博士。演題は「松江に見る日本のこころ」であった。
松江工業高校にある中村博士直筆の校訓

2012年9月26日 無断転載禁止