中村元・人と思想(27) 「人間ブッダの発見」

 最後の旅で実像明らかに

 わが国では仏教の開祖を釈迦(しゃか)と言っているが、その実像は一般にはよく知られていない。釈迦が人間であったことさえ知らない人も少なくない。釈迦は「ほとけさま」と呼ばれているが、阿弥陀仏(あみだぶつ)、大日如来、薬師如来、観音菩薩(ぼさつ)などとの関係はどうなのか、となると、分からない人は多い。

 釈迦は仏像として礼拝され、御利益を求める人々の祈願の対象となっている。超人的な神通力をもつ神格として信仰されている。そして、釈迦は人間ではなかったのでは?と考えられてきた。

 今日、釈迦の生涯に関する研究が進んで、釈迦の実像が浮かび上がってきた。中でも中村元(はじめ)博士の研究が果たした役割は顕著である。仏典だけでなく、ジャイナ教文献、ウパニシャッド文献などを援用して釈迦の実像を描き出した。

 従来、釈迦の生涯を取り扱った著書は多いが、博士の名著「ゴータマブッダ 【1】・【2】」は生々しい釈迦の姿を詳細に書き著している。この書名は、釈迦の人間としての姓である「ゴータマ」と、修行の完成者「ブッダ」を表す。「人間ブッダ」を意味するものである。

 博士はゴータマブッダの最後の旅を記した仏典マハーパリニッバーナ・スッタンダ(大般涅槃経=だいはつねはんぎょう)に、歴史的人物としての姿を見ることができると断言し、ここからブッダの実像を論じた。

 この仏典に記述される人間ブッダの特色を博士が指摘している。その幾つかを紹介しよう。

 第一に、ゴータマブッダはみずから体得した数多くの法には秘密にするものはなにもないと述べたこと。第二は、教祖としての個人的権威を否定し、宗教的カリスマを否認していることである。

 第三は、ゴータマブッダ自身が、どのような修行完成者といえども老いは避けられないと述べていること。博士は彼が普通の人間であったと指摘する。第四には、悲しむべき運命にも支配されない道として、一切の事柄に妄執せず、心に煩悩が生じないようにすれば、身体は快適になると説いた。

 第五は、人はみずからをたよりにして他人をたよりにせず、法をよりどころとし、他のものをよりどころとせずに生きよ、と説いたこと。ゴータマブッダは、教団の指導者であることを否定したのである。

 法、つまり人が守るべき筋道を体得して生きる己よりほかに、たよれるものはないと説いた、と博士は言う。

 第六は、ゴータマブッダは「世間は諸行無常である。怠けず修行を完成せよ。己も久しからずして亡くなるだろう」と、この最後の旅に従った弟子であるアーナンダ尊者に死の覚悟を告げていることである。

 最後の旅の後半部分は、ゴータマブッダが激しい腹痛に見舞われ、血がほとばしるほどの下痢に苦しみながら旅を続け、クシナガラのサラ樹林で亡くなった様子が事細かに描かれている。苦しみながら息絶えたのである。偉大なるブッダでも人間であったと博士は指摘する。

 このほかにも、博士が明らかにしたことは多い。いまわが国でも仏教的儀式、行事として火の祭り、水による洗礼の儀式、そして、祈祷(きとう)、祈願などがさまざまに行われている。博士はこうした儀式などをゴータマブッダが批判していたことも示している。

 このように博士はわが国ではじめて、ゴータマブッダが人間であったことをはっきりと教えた学者であった。

(駒沢大名誉教授・田上太秀)

人間ブッダの終息の地、クシナガラの涅槃像
人間ブッダの姿を明らかにした「ゴータマ・ブッダ」

2012年10月6日 無断転載禁止