中村元・人と思想(28)「ブッダの女性へのまなざし」

スリランカの古都、アヌラーダプラの尼僧院の尼僧たち。左から2人目が筆者
 尼僧にも門戸を開く

 総ページ数128、厚さ5ミリ。岩波文庫版の中村元(はじめ)博士訳「尼僧の告白」は、書棚では存在感が薄い。だが手にとって読めば、心にずしりとくる。ブッダに帰依した女たちが出家前に味わった苦しみや、修行の末に解脱した喜びが、短い詩句のなかに凝縮されているからだ。

 「尼僧の告白」の原典は、上座仏教が伝えるパーリ聖典「テーリーガーター」である。「女性長老の詩」という意味で、一般に「長老尼偈(げ)」と訳される。これは男性版の「テーラガーター」(長老偈、中村訳は「仏弟子の告白」)の姉妹編になる。両者を比べると、長老尼の方がより率直に心の内面まで語っていて興味深い。成立はかなり早いとされ、それが中村博士の読みやすい口語訳で出ていることは大変意義深い。ブッダ在世時の尼僧の生活や心情や修行の様子がわかり、ブッダの女性観もうかがい知れるからである。

 「長老尼偈」に登場する尼僧は73人。有名、無名の尼僧である。もと王妃王女もいれば、バラモン階級の者、一般庶民、遊女もいる。出家の経緯も違い、子を亡くした苦悩から救いを求めた女、夫やしゅうとめのいじめを苦に逃げた女、年老いて身寄りのない女、未亡人…。ただし、不幸や苦悩から救済を求めた者ばかりではない。若くて美しく裕福なのに出家を志した女や、他宗教の行者だった女もいる。そんな女たちを前にして、ブッダは「来なさい」と声をかけた。そのまなざしは、温かかったはずだ。

 ブッダの教えを聞き、修行に専念した尼僧の中には、神通力を得、煩悩を滅し、生死の苦を超えた者(阿羅漢(あらかん))が何人もいる。彼女らは「三種の明知に到達した」「わたしの心は解脱した」と堂々と詠(うた)っている。そして優れた尼僧は、後輩に難解な教えを巧みに説明、解脱へと導いた。男性のバラモン行者と議論し、仏教に転向させた尼僧までいる。

1982年に中村博士が訳出した「尼僧の告白」
 当時の社会で、女は「指二本ほどわずかな智慧(ちえ)しかない」と見下されていたが、彼女たちは違う。学ぶ機会がなかっただけだろう。ブッダは社会の偏見に惑わされず、女性に門戸を開いたわけだ。

 ところが、伝承によると当初、ブッダは尼僧団をつくる気はなく継母マハーパジャーパティーの出家の願いを退け、侍者アーナンダの仲介でやっと認めたと伝わる。その際に条件として定めたのが八敬法(八重法)だとされる。これは尼僧を男僧の支配下におく規則で、どの律(僧団規則集)にもあるが、後代に付加されたとみる研究者が多い。

 時代が下ると、多くの大乗経典で女性は成仏できないと説かれるようになった。それをもとに、近年フェミニズム論者から、大乗仏教は女性差別の宗教だという見方が広まった。

 しかし、中村博士の薫陶を受けた植木雅俊は、それに対し「法華経」を根拠に反論している。自身の著作「仏教のなかの男女観」では、「大乗仏教は必ずしも女性差別の宗教ではありませんよ」と激励する中村博士の言葉を紹介している。

 私は大乗仏教の尼僧だが、上座仏教を研究している。上座仏教の歴史は謎が多く、本拠地スリランカで、尼僧団は11世紀に壊滅した(復興は20世紀末)。

 いったい誰が「長老尼偈」を伝えてきたのか。研究者としては、その点が不明なままで、「ブッダは女性をこう見ていた」と断定的なことはいえない。ただ、これまで学んだことからすると、男女の性差は外的なものでしかない。だからブッダは女性を差別しなかったと思う。一尼僧として、そう思いたい。

 (敬称略、東方学院講師・勝本 華蓮)

2012年10月13日 無断転載禁止