中村元・人と思想(29)「慈悲」による大乗仏教の救い

中国・雲岡石窟の阿弥陀仏。大乗仏教は仏菩薩への帰依とともに、それにならった菩薩行が求められる
 語源、祖師の言葉から平易に

 大乗仏教とは一般的に、1世紀ごろに起こった仏教の改革運動を指す。中村元(はじめ)博士が、この大乗仏教における‘救済’をどのように評価したか、について探っていくと「慈悲」という言葉にたどり着くようである。著書「大乗仏教2」の序編で、まず博士は、インド・クシャーナ帝国の最盛期、カニシカ王時代に起こった大乗仏教運動を何よりも、広い視点から捉えることを説く。

 カニシカ王自身が保護信奉したのは大乗仏教ではなく、従来の伝統的な仏教であったとされる。しかし、重要なことは、一つをもって統治するのではなく、王が信教の自由を認めたことにあった。大乗仏教が育つためには、この自由、それが生み出す諸思想の交流、育む豊かな土壌が、さらにそれを支える人々の存在が欠かせなかった。大乗の教えの核心を、博士は同書で明快に解き明かしている。

 「小乗の徒はみずからの心を静め、煩悩(ぼんのう)を滅して、ニルヴァーナ(涅槃(ねはん))に入ることを目ざしている。自分が最上の至福をうることのみを欲し、他人のことを考えようとしない。ところが大乗仏教はそれに反対する。大乗仏教では慈悲の精神に立脚して、生きとし生ける者すべてを苦から救うことを希望する」「それはまたあらゆる人が仏の慈悲によって仏となることである」

 平易に、大乗の趣旨を言い尽くしている。「慈悲の精神」「仏の慈悲」といった風に使う「慈悲」なる語を、博士はその語源から、次のように解説する。「慈」とは「真実の友情、純粋の親愛の念」、「悲」とは「哀隣、同情、やさしさ」だと。人の感情や思いは、どれほど言葉を尽くしても、的確な説明は難しい。しかし、語源をたどり、しかもその時代の用語による説明は分かりやすい。いかなる過去の思想も、それぞれの時代に生きる人間によって、しっかりと受け止められ、自らの言葉で語られる時、生きたものとなる。博士が常々言ってきた、学問研究の基本である。

中村元選集には大乗仏教を主題とした4巻がある。そのうち「大乗仏教2」は「大乗仏教の思想」と題され、社会的視点から大乗仏教の姿を明らかにしている
 「慈悲」を実践する人を「菩薩(ぼさつ)」、その行いを菩薩行と呼ぶ。だが、多くの人々にその実践は難しい。大乗仏教では、阿弥陀仏(あみだぶつ)や弥勒仏(みろくぶつ)、観音、文殊(もんじゅ)菩薩などに帰依、その力によって救われ、それにならって菩薩行を行うことが求められる。仏菩薩への信仰は、その対象を具体的に形にして崇拝したいという熱望を生み、仏像が生み出される。慈悲とは現実に実践されるべきものである。

 その根拠に、博士は「自他不二」を置いている。「自他平等」「自他一如」という語でも表す。意味は等しく「自己と他人とが一体となること」である。この考えは、仏教以前のインド思想にあり、後の中国、日本の仏教においても生き続けている。このことを博士はさまざまな祖師の言葉で説明するが、その引用もまた、実に的確なものである。

 ある時、博士は自身の心情を良寛の「形見とて何残すらむ春は花、夏ほととぎす秋はもみじ葉」という歌に託して語った。歌は良寛のはるかな師、道元の姿も示唆している。聴く者は、博士の中に生きる多くの祖師たちの教えも学ぶことができた。大切に言葉を選びながら力強く語りかける、慈悲ある博士の薫育(くんいく)は忘れられない。

 「慈悲」は大乗の根本、それを支える豊かな水脈である。その水をくみ、多くの魂を潤した博士のあらゆる活動は、正しく大乗仏教の「慈悲」に由来するものであった。

 (東方学院講師・黒川 文子)

2012年10月20日 無断転載禁止