中村元・人と思想(30)日本仏教に見る近代思想の萌芽

東京大学在任時代の中村博士。大学内の研究室にて
 根底に慈悲・平等・自由

 中村元(はじめ)の日本仏教研究は、本人も述べているように、インド研究の合間に行ったものであり、日本仏教の思想や歴史を網羅するものではない。その特徴はインド学の土台に立ち日本仏教を通して「世界思想史の中で日本の思想を論じたことにある」(末木文美士「中村元と日本思想」)。ともすれば日本思想史に欠けがちな普遍性を、東洋思想の水源から供給したと言えよう。

 その研究は、全体論と各論に分けられる。全体論は、画期的な日本人論である「日本人の思惟(しい)方法」や、思想史の通史である「日本思想史」(初出は1967年英文)である。各論としては、江戸時代の仏教思想を論じた「近世日本における批判的精神の一考察」を代表として、古代や中世を対象とした「聖徳太子」や「往生要集」などである。

 これら研究の核心部分は、戦中から戦後の思想的混乱が続いた1940年代に書かれ、その後の‘中村日本学’の基礎となった。1998年の「中村元選集 決定版」に至るまで、加筆と補訂が続けられている。

 近代日本の宗教政策は、明治初頭の神仏分離と廃仏毀釈(きしゃく)に始まる。天皇制国家を支えるイデオロギーとして祭政一致の国家神道をつくり出し、神道を含むあらゆる宗教を統制し、支配するものだった。

昭和24年発刊の『近代日本の批判的精神の一考察』はその後、新資料を加え改稿、『近世日本の批判的精神』と改題して旧選集第7巻(決定版別巻7)に収録された
 この中で周縁に追いやられた仏教は、近代日本に有用な宗教であることを立証しようと、政治的には天皇制国家イデオロギーの一部として機能していった。その結果、1945年の敗戦以後、日本仏教は天皇制国家を支えた思想として、その思想的意義を社会的に否定されることになった。仏教は民主主義を否定する封建制の残滓(ざんし)とみなされ、主体性と批判的精神を欠く思想と考えられ、思想界の大勢は唯物論へと傾いた。

 そんな中、中村はマックス・ウェーバーに学びつつ、日本の仏教に新しい時代が求める近代的思想の萌芽(ほうが)を見いだし、慈悲・平等・自由という価値観を持つ思想としての再生を志した。庶民を対象とした「カナガキ仏教書」の研究もその一つだ。その試みは、「近世日本における批判的精神の一考察」という象徴的な題の本に結実する。ここで中村は、江戸時代の仏教系知識人を取り上げて、前近代の日本仏教思想において、合理性と民衆性という価値を創出した。

 それらは、敗戦によって自信を喪失していた人々が、自らの歴史の中に切実に求める思想の一つだった。中村の仕事は、人々に思想的なよりどころを提示したことによって広く受け入れられ、その後も長く日本仏教研究の思想性を規定する視点の一つとなった。

 こうした合理性や民衆性に基づいた近代化論は、同世代の丸山真男(日本思想史学)にも共通しており、内外を問わず、後の日本学に大きな影響を及ぼすことになった。丸山は江戸時代の儒教思想を政治思想とみなし、その中に近代的思想の萌芽を発見している。

 学問や思想における彼らの世代の役割は、マンガをはじめとする日本のポップカルチャーを創出した手塚治虫のそれに等しい。その魅力は、彼らが持っていた近代的人間への希望と信頼であったろう。

 それ以後の冷戦と共産圏の崩壊を経て、近代主義とマルクス主義にその多くを依存していた理想と建前が日本社会からも蒸発しつつある。いま中村の研究は、歴史的に受け継がれてきた思想的財産としての日本仏教を、再び発見することを迫っていると思われる。

 (敬称略、中村元東方研究所研究員・西村 玲)

2012年10月27日 無断転載禁止