中村元・人と思想(33) 「広説佛教語大辞典」

佛教語大辞典出版記念パーティで談笑する中村博士(右)
 50有余年情熱を持続

 「佛教の思想を理解し、それを平易な邦語で表現するといふことは、今後佛教徒にとっては最も必要なことである。……いまわれわれは、過去の佛教者の努力を一つの辞書として集成し、整理し、今後の佛教の理解、体現に資することにしようと思ふのである」

 これは、1947年に謄写版刷りで刊行された小さな辞典「佛教語邦譯辞典」の冒頭に若き中村元(はじめ)博士が記した文章の一節である。当時、30代半ばであった博士の、気概と情熱と自信がうかがえる。これを出発点に博士は、現代語で平明に表現した「仏教語辞典」を作るべく歩みを開始する。その後、20年をかけ、独力でほぼ完成に近い所まで原稿を書き上げた際に、この約3万語の原稿を、ある出版社が紛失するという事件が起こる。

 しかし、博士は失意の底から原稿執筆を再開。その後の8年間、東大以外の講義や会合への出席は極力断り、寸暇を惜しんで執筆に当たったという。多くの人々の協力で、1975年、普通名詞の仏教語約4万5000語を収録した全3巻の「佛教語大辞典」が刊行された。

 この辞典は、難解とされていた仏教語を平明な現代の日本語で解説、仏教典籍のみならず、中国や日本の古典からも広く語を採集して出典を示し、インドの原語も明示した。これら従来にない新しさと学問的な正確さが高く評価され、毎日出版文化特別賞を受賞している。しかし、博士は決してそれに満足したわけではなかった。

 私が編集担当者として、初めて博士にお目にかかったのは、その刊行から3年後、博士の監修になる「図説佛教語大辞典」と「近代日本哲学思想家辞典」の編集がスタートしたころである。

広説佛教語大辞典全4巻(東京書籍)
 入社したばかりで、博士の偉大さを知るべくもない若輩にも、あの穏やかな笑顔で丁寧に応対していただいたことは忘れられない。博士の元には、それから頻繁にお邪魔することになる。

 当時、「佛教語大辞典」の改訂版は、企画の俎上(そじょう)にも載っていなかった。しかし、博士自身は、すでにこの辞典をさらに充実させたいという気持ちを持っていたようだ。その後、「仏教散策」シリーズをはじめ、さまざまな企画で20年以上もお世話になったが、その間、博士は「佛教語大辞典」改訂のための準備作業を続けていた。

 自身の著作はもとより、新聞や雑誌のコラム類や読者からの便り、新たに刊行された辞典など、あらゆるものから原稿になりうるものを自分でカード化するのである。改訂版の刊行が決まってからは、編集部に指示して、任せることも多かった。しかし、10万枚以上の膨大なカードを印刷所に入れる段階になっても、博士の情熱が衰えることはなかった。亡くなる年の初めまで、カード作りは続いた。

 逝去後は、東方研究会の方々が詰めの編集作業を行い、2001年に中村博士のライフワークというべき、全4巻の「広説佛教語大辞典」が完成した。着手から、実に50有余年を経たことになる。 この辞典は、前著に収録された約4万5000語のほぼ半数に新たな情報を付加し、語釈や出典はいっそう充実した。さらに約8000語を新規に加え、収録語数は約5万3000となった。今も広範な層の人々に受け入れられている。大辞典の「はしがき」は、博士の次の言葉で終わっている。

 「この辞典が出たあとの反響を生かして、さらに良いものとすることは、次代の諸君にゆだねたいと思う」

  (東京書籍編集者・井上 浩一郎)

 

2012年11月17日 無断転載禁止