中村元・人と思想(34) さまざまな言語自由自在に

インド・ジャイプル市のジャンタルマンタル(天文観測所)にある日時計。盤面にサンスクリット語による説明が付されている。
 東西の思想に分け入る

 西洋と東洋。二つの文明にはそれぞれ形成の礎となった古典言語がある。ギリシャ語とラテン語、サンスクリット語と中国語である。ギリシャ、ラテン、サンスクリットは、同一言語(祖語)から分岐した「インド・ヨーロッパ語族」と呼ばれるグループの一員であり、英・仏・独語もそうである。中国語はチベット語と同じ「シナ・チベット語族」に属する。

 語学の天才と呼ばれる人たちは、複数の語族のさまざまな言語を自在に操る。中村元(はじめ)博士も、まさしくそんな一人であった。

 この東西四つの古典言語で言えば、博士は漢文は中学、高等学校で、古典ギリシャ語は高校、古典サンスクリット語は大学で学んだ。時期は不明だがラテン語も習得している。このほか、英・仏・独語、パーリ語(原始仏典の言葉)、チベット語、韓国語を学び、ヒンディー語(インドの公用語)は80歳を超えて習得した。どれも「読む」「書く」ことは自在。英・仏・独語とサンスクリット語は「聞く」「話す」ことにも堪能であった。

 中でも博士は、インド哲学、仏教学を学ぶのに欠かせないサンスクリット語には愛着があったようである。この言語は紀元前5世紀ごろ、その形態、音韻などが体系的に記述され、それ以来現在に至るまで、文語、口語とも基本的な変化はない。日本語にも「醍醐味(だいごみ)」「奈落」「出世」など、サンスクリット由来の言葉がある。若い時から膨大なサンスクリット文献を読んできた博士は、この言葉を真に習得するため、生きたサンスクリット語に触れる必要を痛感していた。

 というのも、日本でのサンスクリット語学習は「読む」ことが主体であり「書き」「聞き」「話す」ことは、ほとんど行われてこなかったからである。日印国交が樹立した1952年の初訪問以来、博士は度々、訪印、生きたサンスクリット語に触れてきた。66年の訪印の折には、サンスクリット語を母語とするパンディット(伝統的学者)たちの言語活動を調査した。

1973年、デリーのモティラル書店から出版された中村元博士の「A Companion to Contemporary Sanskrit」
 やがて、その成果を「A Companion to Contemporary Sanskrit(現代サンスクリットへのコンパニオン)、1973年」として、インドの出版社から出している。現代サンスクリット語の社会的背景や特徴、語彙(ごい)表現をまとめ、新たに造語されたサンスクリットの現代語なども紹介している。

 当時、サンスクリット語を駆使する外国人研究者は極めて少なかった。その案内書を日本人が英文で著し、インドで出版するなど、稀有(けう)なケースであった。自身「異例のことかもしれない」(学問の開拓)と振り返っているが、博士のこの言葉への思いが感じられる。

 博士の語学力は実に卓越したものだったが、その真骨頂は、この言語能力と言語感覚で、それぞれの言葉で語られた思想に分け入ったことにある。思考方法と言語形式が関連すると考える博士は、言語の形式から思考方法を分析する。

 例えばサンスクリット語にみられるように、「述語+主語」といった、述語を先にする文の形式は、述語が意味する普遍、主体的観念、未知のものを重視する思考的特徴がある、としている。

 このように博士は、諸言語の形式を手掛かりに、西洋と東洋の思考方法を分析、さらにそれらの普遍的特性や違いが生じる所以(ゆえん)を探求した。その先に描いていたのは東西思想の相互理解であった。

 (中村元東方研究所研究員・細野 邦子)

2012年11月24日 無断転載禁止