中村元 人と思想(38) 老いと死

「インド・アジャンタ石窟のブッダ涅槃(ねはん)像」(佐久間留理子さん撮影)
 体動く限り「報恩」の念

 体の動く限り、自分を育ててくれた方々への「報恩」の念をもって歩む―。

 これは中村元(はじめ)博士が生涯持ち続けた信条である。両親や多くの恩人が逝った後、晩年の博士は実際に恩返しはできなくとも「後の世代のために尽くすこと」で務めを果たすことになると思いめぐらした。

 多くの学恩に恵まれた博士にとって、とりわけ影響の強かった人物が二人いる。一人は釈尊であり、もう一人は大学の指導教授・宇井伯寿である。釈尊の生き方は「大きな道標」(「老いと死」を語る)となり、宇井の佇(たたず)まいは「東洋の聖者の理想が現実の人間のうちに具現されている姿」(学問の開拓)であると尊んだ。

 宇井については、80歳を超えても衰えぬ学問的情熱と、死に執着のない落ちついた境地を間近で見てきた。

 「わたくしは死の寸前まで机に向かい、自分のほそぼそとした研究をまとめ続けたいと願っている。筆をもったままコトリと息絶えれば、学者として、それはそれで本望であろう。そうすることが、宇井先生の深い学恩にせめても報いることになるのではなかろうか、と思うのである」(学問の開拓)

 生きた「聖者」「釈尊」の姿を宇井に見たのであろう。

 博士は人一倍時間を費やして切り開いた学識を、分かりやすく活字にすることを自らに強いた。著述こそが、博士にとっての仏道修行であり、そのまま人類への孝行・法施(ほうせ)であった。日々の著述修行の積み重ねが、総ページ数3万ページ、積み上げると2メートル強という著作となり、私たち共有の財産となった。

ブッダ入滅の地、インド・クシナガラの涅槃堂
 また、人間を研究する人文科学は、私たちがいかに生きるべきかという問題に対して教示する「使命」を持つ。ゆえに書いた本人だけが納得するのではなく、読む人々にとって「ためになる」「生きたもの」である必要性を強調した。

 晩年の博士は、人生を「荒れ野の旅」に例えた。人生の行路には失敗や挫折がつきものであるが、一方で「何らかの意味で理想をめざす一筋の道」であると記している。

 その道は人それぞれであり、人生の局面における決断は当事者本人に任せられる。どのように生きたらよいのか―誰にとっても切実な問題であるが「自分の決定は、人間としての理法、道理にもとづくもの」、つまり「ダルマ」「法」でなければならないと説く(仏典のことば)。

 誰も避けることはできない老病死を、博士は心の持ち方は自由である、と捉えることで対処した。「人を人として保つ」、つまり「人間としての理法、道理にもとづく」ことによって、博士は心の自由を勝ち得、学問をはじめ人生を自由に闊歩(かっぽ)した。

 この連載で、ご息女が博士にあてはまる言葉として「呵呵(かか)大笑」「和顔愛語」を挙げていた。博士自身も老いや死が迫ってきても可能なこととして「和顔愛語をもって他人に接するということなら、病人や老人でもできる」(学問の開拓)と記している。博士が終生貫いた姿である。

 そして、常に「ただ自分が今ここに生きているいのちを有難く思う」(人生を考える)ことで、寸暇を惜しんで筆を執った。生きとし生けるものの幸せを願って、慈悲行を積んだのである。人知れぬ悩みや葛藤はあっても、勉め強いる行の中に「わかりやすく法を伝える自らの使命」を見いだした。笑顔の博士の写真を見るたびにこの感を強くする。

 (敬称略、いのち臨床仏教者の会事務局長・西岡 秀爾)

2012年12月22日 無断転載禁止