中村元 人と思想(39) 「初転法輪像」に思う

サールナート出土の「初転法輪(最初の説法)像」(インド・サールナート考古博物館蔵)=丸山勇さん撮影
 知遇得て仏教芸術書出版

 中村元(はじめ)先生が亡くなる3年半ほど前のことである。何かの打ち合わせがあって、東京・神田明神下の東方学院に先生を訪ねた。お目にかかるなり「丸山さんにお願いがあるのですが」と言われた。

 そして、私たちはこんな会話を交わした。

中村博士お気に入りのナイランジャナー河畔の菩提樹=丸山勇さん撮影
 「実は、写真を一枚引き伸ばして頂きたいのです。私も、この年になると先の事を考えなければと思っているのです。いずれ行く処へ行かなければならない時が来るので、その前に、私なりに準備をしておきたいと思っているのですョ」

 「もちろん喜んでお作りさせて頂きますが、写真は何がよろしいのでしょうか」

 「できたらサールナート出土の初転法輪像をお願いしたいのですが。いずれ、その時が来たら、何等(なんら)かのことをしなければならないと思っておりますので。その際には、私の写真は小さく奥に飾って、前面に初転法輪像を掲げ、おいでになった方々には私にではなくブッダに礼拝して頂きたいと思っているのですョ。私は生涯ブッダに仕えた身ですから」

中村博士の死後、ゆかりの人々で散骨を行ったガンジス河=丸山勇さん撮影
 これは先生が、ご自分の葬儀やお別れの会などを考えての話だった。趣旨が趣旨だけに、いつ届けたらよいか悩みつつ、5カ月後に1メートルほどの写真を届けた。写真は1980年に出版した「ブッダの世界」のため、インドへ取材に行き、私が初めて撮ったサールナートの初転法輪像である。そして、その数年前、74年末か翌年、この本の企画・執筆依頼で学習研究社の編集室長と一緒に中村先生を訪ねたのが、先生との初めての出会いだった。

 先生は既にインド哲学・仏教学の大家だった。私は出版社を退職、写真家として独立したばかり。親しい編集者と「ブッダ」をテーマにした写真集のようなものを出そうと意気込んでいた。先生は初対面の私たちの話を聞き企画・執筆を引き受け、著名な仏教学者だった奈良康明、佐藤良純先生をメンバーとして紹介してくださった。それから1年ほど中村先生の本などを読み、自分なりに仏教やインド哲学を勉強し、未知なるブッダの大地インドに思いをはせ、イメージ作りに没頭した。4×5版から35ミリ版まで4機種、7台のカメラを担いで最初のインド取材に出かけたのは76年秋である。

 これから足かけ3年、3回にわたってブッダの足跡をたどり、インド各地の主な仏教遺跡や仏像などを撮影した。撮ったのは数万枚、インド滞在は、合わせると11カ月になった。初転法輪像の写真は、この時の1枚である。

「ブッダの世界」出版記念会(1980年)にて、中村元博士(手前左から2人目)と丸山勇氏(右から3人目)
 インドから帰る度に皆に写真を見てもらった。中村先生は忙しい中、いつも参加して、一枚一枚に目を通された。時に写真を見ながら「こんな写真が撮れるのなら、こんなことを書こう」という話にもなった。この編集の集いは実り豊かなものだった。十数年前、この本の復刻新編が出た。その序文には著者、写真家、編集者が「文字通り心を通い合わせ」とあり、議論などの「経緯をおおらかに見守り…的確な指示をして下さったのが編者の中村元先生だった」とある。

 その通りだった。こんなに有意義でぜいたくな本づくりは、私にとっても最初で最後の経験である。いまこの「ブッダの世界」を、インドで英訳出版しようという話がある。中村先生の生誕100年の年に、不思議な縁のように思える。

 昨年の12月半ばまで私は久しぶりにインドの仏跡を回ってきた。インドの風に吹かれながら、先生と一緒にこの本を作った掛け替えのない時間を思い出した。

 (写真家・丸山勇)

2013年1月5日 無断転載禁止