中村元・人と思想(44) 東西の思想比較

1974年、比較思想学会設立のころの中村先生
 ポスト植民地で再び脚光

 今年6月、比較思想学会は、創立40周年と中村元(はじめ)博士の生誕100年を兼ねた記念大会を大正大学で開催する。来年の第41回大会は松江で開催することが決まっている。

 この学会は1974年に中村元が中心になって創設されたもので、中村は約10年、会長を務め、99年に亡くなるまで名誉会長として活動の先頭に立った。

 中村はインド哲学・仏教学の学者として知られるが、アカデミズムの狭いタコツボ的な専門分けに批判的で、東西にまたがる壮大な比較思想の構想を早くから温めていた。代表的な著書「東洋人の思惟(しい)方法」では東洋の諸文化がインド、中国、日本、チベットなど、それぞれ独自の思惟方法で思索を深めていたことを明らかにし、英訳は世界的に広く読まれ、高く評価された。

 戦後の海外渡航が困難な時代、中村はしばしば米国などに招かれた。その折には新しい比較思想の動向を貪欲に吸収、刺激を受けた。当時、米国では東洋の思想に視野を広げた比較思想の研究が勃興(ぼっこう)していた。中村はその拠点であるハワイ大学・東西センターにも招かれ、またハワイで開かれた東西哲学者会議でも重要な役割を果たしている。「比較思想論」では、そんな動向に目配りしながら、自身の構想をも大きく展開させた。

 比較思想学会創設のころ、中村は「世界思想史」全7巻の刊行に着手した。「東洋人の思惟方法」は、民族ごとに違う思惟方法の解明に向けたものである。これに対し「世界思想史」は、世界各地の哲学思想がばらばらではなく、古代思想、普遍思想、中世思想、近代思想という共通の段階を経て展開していることを明らかにした。

 それにより、西洋だけが哲学思想において優越しているのではなく、東洋の諸文化も同じように進展していることを示し、西洋優越主義を厳しく批判した。

 比較思想学会は、こんな中村の年来の主張に基づき、それを共同作業として展開しようとしたものである。学際性とともに、アカデミズムの研究者以外にも門戸を開いた点が大きな特徴であった。

 そこには、玉城康四郎、三枝充悳、末木剛博、峰島旭雄ら仏教や哲学などのそうそうたるメンバーがそろい、また在野の研究者・松尾宝作らも加わって、新しい学問を立ち上げる熱気に満ちていた。中村は名誉会長となってからもほぼ毎年、大会の折に特別講演を行い会員を鼓舞した。

 しかし、中村が亡くなるころには、冷戦後の錯綜(さくそう)した状況の中で東西比較を中心とした比較思想の有効性が疑問視されるようになった。「文明の衝突」が言われる中で、戦後のアジア勃興期に形成された比較思想の学問手法では単純で楽観的に過ぎ、現実に対応できないとして見捨てられたのである。

 しかし、一時はやや否定的に見られた比較思想であるが、最近再び脚光を浴びている。ポスト植民地的な状況の中で、他者としての異文化を適切に理解し同時に自文化を捉え直すことは不可避の課題となっている。それには単純な比較ではなく文化の融合や反発の過程をきめ細かく検証していくことが必要で、このことによって自文化を閉鎖化せず、異文化に目を開くことが可能となる。  

 こうした新しい視点から、もう一度中村の大きな理想を取り戻しその先駆的な活動を受け継いで次のステップに進むことが、今われわれに求められている。 (敬称略)

 (末木 文美士・国際日本文化研究センター教授)

2013年2月9日 無断転載禁止