中村元・人と思想(45) 中村先生のチベット語授業

中村先生御夫妻と筆者
 「般若心経」の読解と格闘

 中村元(はじめ)博士の教室での授業は、どのようであったか?

 博士から懇切丁寧にしかし、きわめて厳格で緻密な指導を受けた「チベット語入門」の授業体験を紹介しよう。

 今から半世紀も前の昭和34年秋、本郷の東大の研究室で、私たちが読んでいたのは、チベット語訳「般若心経」だった。博士は当時48歳。文学部印度哲学科の次席主任教授で、既にわが国を代表するインド哲学・仏教文献研究の第一人者として広く世に知られていた。

 当時は、まだ適切なチベット語文法書がなかった。博士は、先輩の池田澄達先生から譲り受けていた30ページの自筆ノート「チベット文法入門」を私たちにコピー、配布、同じく池田自筆の「初等西藏(チベット)語読本」をテキストとした。

 夏までの突貫授業でチベット語文法の解説を完了し秋学期に入ると、手書きの一行一行がプンプン匂うような「読本」を用いて、チベット語訳「般若心経」の読解が始まった。

珍しくラフな姿で講義をする中村先生。東方学院インドネシア学術調査団にて
 受講生5人が順番に指名される。調べたチベット単語一つひとつの正確な意味を求められる。そして「この語はインド仏教言語のサンスクリット(梵語)では、なんという原語に対応するか?」と質問される。

 さらに5世紀初頭の鳩摩羅什(くまらじゅう)や、7世紀中葉の玄奘(げんじょう)の漢訳「心経」では、どんな中国語に訳されているかが問われる。最後に各人が全体を現代日本語として一番に適切な文章に訳出することが求められた。毎週、私たちは全身汗グッショリになった。

 翌年夏、岩波文庫から中村元・紀野一義訳註「般若心経・金剛般若経」が刊行された。その解題に博士が記した「サンスクリット原文章の確定、チベット訳との対照」という一文を眼にして「私たちには半年の苦労だったが、先生はこれを数十年、積み重ねてきたのだ」と納得した。

 大乗仏教の根本思想は「空の理法」を悟ることとされる。「空の理法」を詳しく説けば「大般若経」600巻と限りなく大きく、簡単に説けば、漢字でわずか262字の「般若心経」1巻に収まる。

 日本の寺で頻繁に唱えられる玄奘訳「般若心経」に一番近いサンスクリット原典の写本が、奈良の法隆寺に大切に保存されていた。インドにも、中国や他のアジア諸国にも残っていない、古い貴重な写本である。

 博士は授業中に「明治期に、これを知ったマックス・ミューラーなど、西洋の著名なインド古文書研究者は大変驚き、一見を切望した」といったエピソードを交えながら、テキストの一字一句を丹念に読み解いた。

 唐代の思想的に円熟した玄奘の漢訳と比べると、国も、思想・文化面でも若かったチベットのヴィマラミトラ他の西蔵訳は、一語一語が梵語原典からの忠実で実直な置き換えに終始している。稚拙とも言えるが、それだけに原典の正確な校訂には、不可欠で重要な資料的役割がある。

 しかし、中村博士の指導は単なる資料学習にとどまらなかった。訳語を選び定めたチベット人のまなざしを想像して、彼らの思考方法の特徴を捉えようとする。

 厳しい自然風土の中で生活するチベット人には具体的・現実的志向性が強い。だから、例えばサンスクリット語の「ブッダ(仏陀・覚者)」を、チベット語では「サンギェ(眼を醒(さま)して、まぶたを広げた者)」と訳す。

 まさに博士の名著「東洋人の思惟(しい)方法」の中の「チベット人篇」の宝石箱を開いて見せていただいた思いの満ちあふれる授業だった。

 (筑波大名誉教授・川崎 信定)

2013年2月16日 無断転載禁止