中村元・人と思想(46) 新しい普遍的論理学希求

インドのこの風景の中で独自の論理が生まれた
 異文化相互理解を促進

 1999年10月、ワルシャワでの学会からの帰路、機内の1日遅れの日本の新聞で中村元(はじめ)博士が10月10日に亡くなったとの記事を目にした。偶然だがこの学会はインド論理学の分析に初めて記号法を導入したポーランドの学者シャイエルの生誕100年を記念するものだった。そんなこともあって中村先生のご逝去は強く印象に残っている。

 私が先生の謦咳(けいがい)に接したのは1度だけである。かつて印度学仏教学会の学術大会で「相違」という漢訳語に関する先生の発表に質問したことがあるが、これ以外に先生との接点はなく、先生の訃報に接しては戦後日本のインド学・仏教学界をけん引してきた偉大なインド哲学者が亡くなったという以上の感想はなかった。

 しかし翌年、先生の没後に編集、出版された「論理の構造」上下2巻が、私に送られて来た。送って頂いたことに驚くと同時に、先生の<普遍的な論理学>構築の願いを初めて知り、身の引き締まる思いをしたのであった。

 同書は85年から10年以上、先生が雑誌に連載された原稿をまとめたものである。主に先生の一高時代の恩師であった須藤新吉の「論理学綱要」と、6~7世紀のインドの仏教論理学者ダルマキールティ(法称)の「ニヤーヤ・ビンドゥ(論理の雫)」によって、東西の論理学を比較考察したものである。両者の共通性と差異性とを明らかにした上で<普遍的な論理学>の構築を目指している。

 興味深いのは「論理の構造」のモデルをダルマキールティに求めていることだ。論理学を単に推理・論証の学問に限定していない。知覚論・概念論・判断論を含めた認識論、カテゴリー論にもとづく存在論などを視野に入れることで、人間のあらゆる思考の方法を明らかにしようという意図がくみ取れる。

中村博士の遺著ともなった「論理の構造」
 引き続き「演繹(えんえき)法と帰納法」「誤謬(ごびゅう)論」が書かれる予定だったが、先生が亡くなったことで実現しなかった。

 インド論理学が演繹的であるか帰納的かという問題に関して、かつて私は後者に傾いていたが、今では米国の科学哲学者トゥールミンが「議論の技法」で提示した議論のモデルこそが、インド論理学の論証形式に最も近いと考えている。

 中村先生ならどう言われるかと思うが、その解明は、われわれインド論理学研究者に先生が残された宿題だと受け止めている。

 「論理の構造」の「著者あとがきに代えて」には、先生のご長女・三木純子さんが以下のような先生の思いを引用されている。

 「現在、すべてがグローバルに地球志向的観点から事が進められ、東西文化の融合ないし総合ということが、大いに唱えられているが、そのための原理が充分に解明されていない。(中略)インド論理学や仏教論理学は<論理学>という広い場面の中に論理学的に位置づけられねばならぬ。『文献学的に』ではない。その位置づけの試みは、また新たに<普遍的な論理学>という場面を設定する事になる」

 先生は「仏教だけに限られている論理学なるものは存在しなかった」「論理学は本質的に普遍的な学問であった」と言い、東西の文化の違いを超えて、全人類に共通な「論理の構造」を明らかにしようとされた。文献によってのみ仏教論理学を研究している私には耳の痛い言葉である。

 先生は明言されていないが<普遍的な論理学>こそ、異文化・文明の相互理解を促進、人類の平和的な共存に寄与すると考えておられたに違いない。  (龍谷大教授・桂 紹隆)

2013年2月23日 無断転載禁止