中村元・人と思想(48) 日印に心の橋を架ける

中村博士はインドでは市井の人々とも気軽に交流をもった。1986年、インド・ラージギルにて
 学びを一身かけ実行

 私が初めて中村元(はじめ)博士と出会ったのは、来日後しばらくしての1974年。当時、在日インド人の世話役をしていたA・P・S・マ二さんが引き合わせてくれた。

 彼はインドから要人が来日した時、インド人の大事な祭りなど、大きな行事には、いつも中村博士を招待していた。私はマニさんを意義深い仕事をしている人だと思っていた。

 当時、インドではヒンドゥー教の聖者、サイババへの関心が盛り上がっていた。博士と少し話を交わすようになったころ、私は博士にこの聖者の話をした。大変関心を持たれ「そのような方は神の化身だと自分も思う」と何度も言われた。私の気持ちと同じで、以来、親しくさせていただくようになった。

 博士はいつもだれに対しても、その人間としての向上や変革を手助けしようとしていた方だった。会った人の心を読み取り、その時その人に一番響く言葉をかける、といったことが巧みだった。声をかけられた人は、その言葉に感動し、人生を変えていった。

 私の場合は1978年の自分の結婚式の時だった。千数百人が集まった式で、博士は私にこう言った。

 「一つ約束してください。日本にいても、子どもたちにはぜひインドの聖典ヴェーダを学ばせて、本当のインドの教育を施してあげて下さい」と。

 いま私は日本にいるインドの子どもたちを集め、ヴェーダを教えている。このきっかけはこの時の博士の言葉であり、先生は私の人生をも大きく変化させた。

中村元記念館を来訪したワドワ駐日インド大使(右)に中村博士の著作を説明する比良竜虎氏(中央)。左は同館館長の前田專學博士=松江市八束町
 博士は教育への強い思いがあり、とりわけ若者の心の教育について真剣に考えていた。

 当時、日本は高度成長のまっただ中。物質文明一本槍(やり)で、精神文化はかすみかけていた。「国内外にさまざまな問題があるが、根底にあるのは心の教育が不足していることではないか」と常々、口にしていた。

 「今の国の教育方針では、義務教育期間に宗教的なことは教えられない。しかし、大学生にもなれば、善悪の区別はつけられる。宗教のことはなるべく若いうちに教えてあげなくては」

 こんな思いで、まず教える人材を育てるため、大学にインド学の講座を設けることに尽力し、彼らを全国の大学に送り出した。

 「文化の面で、インドは母であり、日本は娘だ」と博士は書いた。インドの影響なしに、日本の精神文化の成熟はなかったと考えていたようだった。仏教だけではなく、その母体となったインドの精神文化で日本人の心を豊かに育てあげ、日本という国の価値を高めることを本願としていた。

 その意味で、博士のインド哲学・仏教研究は「学問」「楽しいもの」という以上に『使命』だったのではないかと思う。

 博士はただの学者ではない。学者は精神文化を学んでも、一身をかけて実行することはない。しかし、博士は学んだことを一生をかけ実行、具現化した。

 中村先生がなしたことは、まさに希望の光である。「日本」は日の昇る方角を意味し、先生が残した東方研究所の「東方」もまた光の差す方向の意である。研究所には、先生が始めたことをしっかり受け継ぎ、国民、国家のため、無私の心でもって「不滅」に続けていっていただきたい。

 私は博士が、日本の精神文化を復活させるため、神がこの世に遣わされた聖賢だったのだろうと確信している。博士が日本の精神文化の源である出雲から出られたことも、決して偶然ではないと思う。

 (サティアサイ教育協会理事長)

2013年3月9日 無断転載禁止