中村元・人と思想(52) 生誕100年 大根島に記念館

1986年、釈尊がしばしば説法されたと伝えられるインドの霊鷲山を登山中、休憩して来し方を眺めやる中村博士(上)。昨秋開館した中村元記念館裏手の大塚山に建てられた「慈しみ」の言葉の石碑。中村博士は終生この言葉を人生の指針としていた(下)
 日印の交流拠点に

 昨年4月6日、中村元(はじめ)博士の生誕100年を記念して、このコラム「中村元―人と思想」の連載が始まった。くしくも山陰中央新報社は、博士の生誕の地、松江市殿町に本社を置いている。

 以来、読者をバニヤンの大樹のような博士の広大な世界への道案内をしているうちに、バニヤンの大樹はさらに成長し、霊峰大山を望み、波静かな中海に浮かぶ大根島に根付き素晴らしい中村元記念館となった。

 大根島の大根は、偉大なる根本を意味し、中村元の元に通じ、宇宙の根本を意味するとすれば、この上ない格好の場所である。島はボタンの花と雲州人参の里でもある。

 昨年10月10日、博士のご命日に開館した中村元記念館には、博士が日頃使っていた書斎を復元、著書、直筆原稿、カード、遺品、日記や、博士が生涯かけて集め、利用し、博士の血肉となり魂ともなった全蔵書約3万余冊を収めている。

 記念館開設に劣らず大事なことは、松浦正敬・松江市長の熱意で記念館後の小高い大塚山頂上に、博士の遺言とも言うべき「慈しみ」のことばの石碑が建てられ、そばに菩提樹(ぼだいじゅ)が植樹されたことである。

 私にはこの事実は、博士の熱い思いが博士の故郷の方々に温かく迎え入れられたことを象徴しているように思われる。多くの方の来館をお待ちしているが、この記念碑と菩提樹を見なければ、中村元記念館の半分しか見たことにならないであろう。

 私は、この記念事業を進めながら、博士が生前中、日本中にいかに広く、深く慈悲の種子を蒔(ま)かれたかを痛感した。

 どこに依頼に行っても、博士の名前を出せば快く応じられ、支援の約束をいただいた。仏教界、教育界はもちろん、島根、松江の行政や経済界、また地元の今井書店や山陰中央新報を含め、国内の出版界、各メディアも進んで動いて下さった。

 昨年の開館式にはワドワ・インド大使の出席が予定されていたが、急きょ決まった国際通貨基金(IMF)総会のため不可能となった。しかし、今年1月、大使は島根、鳥取の両県知事、松江市長を訪問の後、中村元記念館を訪ねられた。

 大使は、特に中村博士がインディラ・ガーンディー首相や、ラーダークリシュナン大統領と一緒に写っている写真に大変に感動され6月にはご主人と一緒に再訪されるということである。

 その大使が、次のようなメモを残された。

 「私は今、中村元記念館を訪問しています。私にとって記念すべき、かつ非常に感動的な瞬間であります。私はこの記念館こそ日印の絆の要であると思います。日印の絆は単に歴史的であるばかりではなく、魂の絆、価値観の絆であり、宇宙とこの宇宙における人間の役割についての共通の見解の絆であります。私はこの記念館の実現のために献身された島根県と県民に感謝申し上げます」

 記念館は中海圏域発展の象徴であるばかりではない。日印の絆の要として、山陰インド協会成立と発展の原動力となること、また、記念館を拠点に生前の博士が推進された東洋思想・文化の研究を促進し、将来、中村元研究を志す国内外の学徒の中心地となることが期待されている。

 この4月には東方学院松江校の開校を予定しているが、これらによる東洋思想の普及活動により、地域の振興、文化の発展・人づくりを促進し、博士の目指した世界平和の実現にいささかなりとも貢献できればと願っている。

(中村元記念館館長・前田 專學)

 この連載は今回が最終回です。ご愛読いただき、ありがとうございます。

2013年4月6日 無断転載禁止