悠久のくに(1) 高層神殿支えた巨木(出雲、大田市)

三瓶小豆原埋没林の中でも4000年前と同様、直立する杉は存在感が際立つ=大田市三瓶町
5月に正遷座祭が営まれる出雲大社。日本の著名な古社の中でも本殿の巨大さがずぬけている=出雲市大社町
出雲国風土記に出雲大社の造営用の木材を切りだす山と記された吉栗山。麓を神戸川が流れる=出雲市佐田町
 神戸川経由し大社へ

 昨年は日本最古の歴史物語・古事記編さん1300年、今年は風土記編さんの官命が出されてから1300年の節目にあたる。出雲には全国唯一の完本である出雲国風土記が伝わり、5月には出雲大社本殿の正遷座祭が営まれる。県内外の人々を魅了してやまない山陰の歴史物語を探る。

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 見上げると、高さと存在感が際立つ。国の天然記念物に指定されている三瓶小豆原埋没林(大田市三瓶町)。縄文時代後期の4000年前、三瓶山の噴火で埋まった地底林の中でも、立ったままの姿をとどめる高さ8メートルと12メートルの杉が目を引く。巨木の証しでもある雷が落ちた跡を刻む。

 小豆原には杉の巨木の森があったことが解明されている。10メートル間隔で、直径1・3メートル、高さ30~40メートルの杉が数百本、谷筋を覆っていた。三瓶自然館企画情報課の中村唯史主幹(45)は「標高が同じなど、小豆原とよく似た植生環境の吉栗山にもかつて杉の巨木があっても不思議ではない」とみる。

 吉栗山は小豆原から約20キロ。出雲市佐田町にあり、標高340メートル。奈良時代の733年に編さんされた出雲国風土記に「杉やヒノキがあり国造りの大神とあがめる大穴持命(おおなもちのみこと)(大国主)の神社の造営用材を切り出す山」と記載。出雲大社専用の木材を産する場として確保されていた。

 現地を訪れて納得した。吉栗山の麓を神戸川が流れている。木材を川に流せば、日本海を経て大社に運べる。佐田町の飯の原農村公園の管理団体・吉栗ドリームは昨年7月、風土記に倣って、吉栗山の麓の杉(直径30センチ、長さ6メートル)を切り出し、実際に神戸川へ流した。

 川に堰(せき)があるため、流した区間は限られたが、渡部正毅前事務局長(68)は「出雲大社の壮大な神殿にこの地が関係していたことを住民に知ってもらえた。古代には巨木を流せたと実感できた」と話す。

 2000年に出雲大社境内遺跡(出雲市大社町)で出土した鎌倉時代の宇豆柱(うづばしら)は、直径1・3メートルの杉3本を一つに束ねて柱に使われていた。この発見で、出雲大社本殿の高さが平安時代に現在の倍の16丈(約48メートル)あったとされる説の可能性が高まった。

 半面、古代出雲歴史博物館の岡宏三専門学芸員(46)は「出雲大社本殿が巨大だっただけに巨木が必要で、資源不足が深刻化したのでは」とみる。確認されているだけで平安時代末から鎌倉時代、本殿は5回も倒壊。杉3本で柱1本なら、本殿の柱9本で27本の杉材がいる。平安末には出雲大社北側の北山に材を求めており、岡さんは入手しやすい場所で植林した可能性を考えている。

 事実、江戸時代前期の寛文の造営(1667年)では巨木が入手できない問題に直面。秋田まで探したけれどもなく、ようやく妙見山(兵庫県養父市)にあった神木を切らせてもらった。出雲大社はお礼として、戦国大名・尼子経久が建てた三重の塔を贈っている。

 古代から連綿と出雲大社の造営には資源調達という課題が立ちふさがってきた。先人たちはそれを克服し続けて今日に至る。悠久の時の流れに注いだ情熱が立ち上ってくる。

 (文・生活文化部 引野道生、写真・写真部 小滝達也)

2013年4月8日 無断転載禁止