悠久のくに(3) 出雲の神聖な入海の幸

スズキは魚食性が高く、宍道湖・中海では外敵が少ないため、両湖の魚類の生態系の頂点に位置する=島根県立宍道湖自然館ゴビウス
売布神社の境内に鎮座するクシヤタマを祭る和田津見社=松江市和多見町
 スズキ 水海の国の象徴

 奈良時代の733年に編さんされた出雲国風土記に、宍道湖と中海は「入海(いりうみ)」と記された。両湖に西部出雲の神門水海(かんどのみずうみ)を加えて古代の出雲は、真水と海水が入り交じる汽水湖が今より大きく広がっていた。その風土を代表する特産品がスズキで都にも知られていた。

 スズキ(須受枳)は出雲国風土記に入海の産物の一つとして載るだけではない。風土記を代表する国土創生の国引き神話と、古事記の出雲系神話を代表する国譲り神話の双方にも登場する。

 国引きはヤツカミズオミヅヌノミコト(八束水臣津野命)が朝鮮半島などから土地を引き寄せ、狭い出雲の国土を広げる神話。その中で他国の土地を切り取る描写を「波多須須支(はたすすき)(幡薄(はたすすき))穂振(ほふ)り別けて」つまり「スズキを切り分けるように」と表現している。

 一方、国譲りではオオクニヌシ(大国主)が国土奉献を認めた後、出雲の国の「多芸志(たぎし)の小浜(おばま)」に「天(あめ)の御舎(みあらか)」が建てられ、オオクニヌシと高天原の使者の間で交渉成立を祝う宴が開かれた。オオクニヌシはクシヤタマ(櫛八玉)を調理人(膳夫(かしわで))とし「口の大きな尾もヒレも麗しいスズキをおいしい魚料理」にして供えたと伝える。

 さらに飛鳥時代(7~8世紀)、出雲の支豆支里(きづきのさと)(出雲市大社町)から天皇に献上する食べ物としてスズキが運ばれた史実を示す木簡が藤原京(奈良県)で見つかっている。

 島根県立古代出雲歴史博物館の森田喜久男専門学芸員(49)は「出雲は都に水海の国として意識され、その象徴のスズキを天皇が食べることは支配に通じる」と読み解く。

 国譲り神話でスズキを調理したクシヤタマを祭る和田津見社が、松江市和多見町の売布神社境内に鎮座する。売布神社では10月の例大祭で、すずき祭と呼ばれる御饗(みあえ)の神事があり国譲りの調理の場面が再現される。タイより大きいスズキを神前に供え、神事の後の直会で、刺し身とヒレの吸い物が振る舞われる。

 売布神社は出雲国風土記に記された古社。奈良時代は袖師が浦(松江市袖師町)の岩崎鼻にあったとされ、出雲の海人の守護神で汽水湖の漁業の豊漁と安全を祈る社として信仰されてきた。

 青戸良臣宮司(72)は「宍道湖のスズキは江戸時代、塩漬けにして山陽方面に大量に出荷されるなど古代から有名だった」と説く。

 スズキは宍道湖七珍の一つで、セイゴからチュウハン、スズキと成長するに連れ、呼び名が変わる出世魚。奉書焼きが知られる。

 島根県立宍道湖自然館ゴビウス飼育展示係の山口勝秀係長(43)は「スズキのように真夏においしい魚は少なく、大きいほどおいしくなる」と特徴を挙げる。古来、スズキにとって宍道湖・中海の環境はすごしやすく、今も両湖の魚類の中で生態系の頂点に君臨している。

 (文・生活文化部 引野道生、写真・写真部 小滝達也)

2013年5月7日 無断転載禁止