悠久のくに(2) 言葉を話せない御子(出雲市)

松江市西浜佐陀町の湖北平野で早朝、朝日を受け優美な姿を見せるコハクチョウ。日本書紀では、出雲で捕らえられた白鳥を得てホムツワケが話せるようになった(2009年11月)
求院八幡宮の境内社でホムツワケを祭る鵠神社=出雲市斐川町求院
国譲り神話を象徴する出雲大社本殿=出雲市大社町
 出雲の白鳥得て病治す

 偉大なる国主であるオオクニヌシ(大国主)が、自ら造った国を譲る代償として高天原(たかまがはら)が築いたとされる出雲大社(出雲市大社町)。日本書紀には659年に出雲国造に命じて神の宮を造らせたという記述があり、これが史料上の出雲大社の創建と考えられている。

 しかし、島根県古代文化センター客員研究員を担う関和彦さん(66)は「オオクニヌシが国譲りをしたのに高天原(大和朝廷)が約束を守らず、巨大神殿を造らなかったので神罰が当たった」とみる。「新・古代出雲史」で自説を披露している。神罰とは、オオクニヌシのたたりだ。

 古事記は、垂仁天皇の御子(みこ)ホムチワケ(本牟智和気)が大人になるまで言葉が話せず、白鳥の声を聞いて初めて言葉を発した逸話を記す。天皇の夢占いで、出雲大神が自分を祭る神殿を天皇の宮殿のように立派にすれば、ホムチワケは話せるようになると告げる。早速、御子が出雲に行きオオクニヌシの仮殿を伴う祭場を造ると話せるようになり、天皇はようやく出雲に宮を造営させた。

 関さんは「ホムチワケ伝承には天皇の恐怖と喜び、感謝がある」と考察し「出雲大社が立派であることで自分たちの心が充実したのでは」と読み解く。

 他方、日本書紀は御子を「ホムツワケ(誉津別)」とし、出雲で捕らえられた白鳥を得ることで話せるようになったと記載する。

 これらの古事記と日本書紀双方の物語と響き合う伝説が、出雲市斐川町求院の求院八幡宮一帯に伝わっている。斐川西中校長を務めた池田敏雄さん(86)が「出雲の原郷 斐川の地名散歩」に記す。

 まず、地名の求院(ぐい)は白鳥を示す古名の「白鵠(くぐい)」が変じ、日本書紀の白鳥が捕らえられた場所も同地区周辺にあった大きな池のほとりという。さらに求院八幡宮には、境内社の一つとして鵠(くぐい)神社が鎮座。ホムツワケを祭神に祭っている。

 求院八幡宮の村上家次宮司(80)は、八幡宮の場所一帯が「不遇な御子の病が治った際に御子をもてなした仮殿があった地」と解説。もてなしの場で御子は一生懸命、酒をついでくれた人に銚子(ちょうし)から「長子」、飯を炊いてくれた人に「飯塚」の姓をそれぞれ特別に授けたという伝説を教えてもらった。

 奈良時代の733年に編さんされた地誌の出雲国風土記をひもとくと面白いことに気付く。出雲郡の出雲御埼山(みさきやま)のくだりに「西のふもとに世に国作りの大神と仰ぐ神の社(出雲大社)がある」と記述。続けて郡内の山野にいる鳥獣の一つとして「鵠」が登場する。

 今も中海・宍道湖沿岸に冬の使者としてコハクチョウが飛来する。草木が枯れる野の中で優美な姿を見せる白鳥こそ、古代の人々に生命を活性化させる神の鳥とあがめられたのかもしれない。

 (文・生活文化部 引野道生、写真・写真部 小滝達也)

2013年4月22日 無断転載禁止