島根ふるさと遺産100選 (5)いにしえの世界

古事記や出雲国風土記の神話にまつわる舞台や神社、遺跡、伝統芸能を紹介する。

県内最大規模の前方後方墳の山代二子塚古墳
八雲立つ風土記の丘と周辺の遺跡群(松江市)

 八雲立つ風土記の丘は、遺跡密集地帯の保護と活用を目的とした、文化庁の風土記の丘設置構想に基づき、1972年に開設された。松江市の大庭町、竹矢町、大草町の一帯が対象で、全国6番目となる「風土記の丘」誕生だった。島根の古代文化紹介と保護を担う。

 この地域には、県内最大規模の前方後方墳(全長94メートル)の山代二子塚古墳、古天神古墳などが点在し、奈良時代の遺跡としては出雲国府跡、出雲国分寺跡などがある。

 奈良時代に編纂(へんさん)された「出雲国風土記」に登場する意宇(おう)郡の中心地域にあたる一方、出雲国造家出自の地でもあり、歴史的に重要性の高い場所でもある。

 大庭町にある風土記の丘センター敷地内には、岡田山古墳群や復元した古代家屋、風土記植物園がある。展示学習館では、松江市矢田町の平所遺跡で出土した「見返りの鹿埴輪(はにわ)」、入れ墨のある人物埴輪などが展示され、島根の歴史を学ぶことができる。


意宇六社の神魂神社。本殿は国宝
意宇六社(松江市)

 意宇とは出雲国の郡の一つ。現在の安来市から松江市にかけての地域で、出雲国では最大の郡だった。意宇六社は、松江市内にある熊野大社(八雲町熊野)、神魂(かもす)神社(大庭町)、六所神社(大草町)、八重垣神社(佐草町)、真名井神社(山代町)、揖夜神社(東出雲町揖屋)を指す。

 意宇郡は出雲国の中心として、出雲国府や出雲国分寺などが置かれていた。江戸から明治時代には、六社を参る「意宇六社参り」が行われていた。

 意宇六社は出雲国造家とのかかわりが深い。熊野大社の鑽火(さんか)祭は、出雲大社が納めた餅の出来栄えに対し、熊野大社が注文をつける「亀太夫神事」という風変わりな神事をする。

 神魂神社は、現存最古の大社造りで国宝の本殿を持つ。現在は出雲大社で行われる古伝新嘗祭も、明治初期までは神魂神社で営まれていた。各神社への人々の信仰は、昔も今も変わらない。


伝統が息づく佐陀神能
佐陀神能(松江市)

 出雲地方はもとより各地の里神楽に影響を与えたとされ、1976年に国が重要無形民俗文化財に指定した「佐陀神能」。江戸時代初期、猿楽能や幸若などの形式によって現在の形に整えられたとされる。

 佐太神社(松江市鹿島町佐陀宮内)で9月の24、25の両日にある祭礼「御座替祭」の神事として奉納されており、2011年11月には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。

 採物舞の「七座神事」、祝言としての「式三番」、神話劇の「神能」の三つの神事舞で構成され、現代では佐陀神能保存会によって受け継がれている。

 篝火(かがりび)がたかれた境内の舞殿で、太鼓と笛の音が鳴り響く中、大蛇退治を題材にした「八重垣」、佐太神社の縁起を題材にした「大社」などが演舞される。ゆったりとした舞い姿は厳かで、後世に脈々と伝承されていく。


「黄泉の穴」とされる猪目洞窟
黄泉の国の入り口(松江市、出雲市)

 出雲で編纂された出雲国風土記には「夢で見ると必ず死ぬ」場所として「黄泉(よみ)の穴」が登場する。その有力な場所とされるのが国史跡・猪目洞窟。出雲市猪目町で古代の埋葬人骨が大量に見つかっている。

 1948年、漁港の改修工事で発見された。高さは中央部で約12メートル、奥行きは約30メートルもあり、弥生から古墳時代にかけての埋葬の場だったとみられる。南海でしか手に入らないゴホウラ貝の腕輪など、貴重な副葬品も数多く出土している。

 一方、古事記に登場し、現世と死後の世界の境といわれる黄泉比良坂(よもつひらさか)に比定される場所が、松江市東出雲町揖屋の平賀地区にある。

 木々に覆われた場所に、1940年に石碑が建てられ、隣接して大岩が三つ並ぶ。これが黄泉への入り口をふさいだ「千引の岩」を連想させる。

 黄泉の国への入り口の謎は尽きず、その神秘性とも相まって、人々の関心を集め続ける。


2013年5月27日 無断転載禁止