特別寄稿・設立に寄せて ディーパ・ゴパラン・ワドワ駐日インド大使

ディーパ・ゴパラン・ワドワ駐日インド大使
両国民つなぐ架け橋に

 2013年1月、初めて島根・鳥取両県を訪問した私は、山陰の皆さまがインドに対して抱く温かな気持ちと友情をじかに感じることができました。また山陰地方とインドの深い縁を知り、驚きを覚えました。中村元記念館を初めて訪問した際には感銘を受け、「印日関係の中心は、日本のこの素晴らしい地方にある」と述べました。このような経緯からも、山陰インド協会の設立が決まったとお聞きした時は大変うれしく感じましたし、また設立記念式典にご招待いただき、深く感謝しております。

 印日両国の国民は、先月末に行われたマンモハン・シン首相と安倍晋三首相の首脳会談が大成功であったことを認識しています。日印年次首脳会談は、2006年にシン首相と安倍首相により宣言された印日戦略的グローバルパートナーシップを機に始まりました。シン首相が今回の首脳会談で、「インドと日本は自然な、お互いにとって不可欠なパートナーである」とおっしゃいました。東洋文化と宗教によって結ばれた両国の絆は、古代から続いてきました。日本人の意識にはインドに関する知識が深く刻まれています。仏教と、奈良の東大寺大仏の開眼式を行った菩提僊那(ぼだいせんな)をはじめとする伝道僧の到来後、印日間の交流は完全に間断なくというわけではなくとも歴史を通じ、商業の台頭に伴い、西洋の貿易商を媒介に続いてきました。こうしてインドの木綿は長崎経由で日本の沿岸地域に届き、また貿易商はインドに日本の絹や硬貨製造用の銅を運んだのです。19世紀半ばになると、印日間の交流についてさらに詳しい歴史的記録が残されるようになりました。

 インドは20世紀初頭以来、歴史を通じて日本に対しポジティブなイメージを抱いてきました。インド人は日本の大国としての台頭を、アジア復活の始まりと解釈したからです。インドは1952年に日本と外交関係を樹立しましたが、日本は最も初期に外交を始めた国のひとつです。私がこれまでお会いした日本の方の多くは、東京裁判でラダ・ビノード・パール判事が日本に関して下した判決と、ジャワハルラル・ネルー首相と娘のインディラの1957年の来日を記憶しています。

 今日台頭しつつあるインドの活発な経済、拡張しつつある若年人口、低い製造費、巨大な市場は日本の技術力、製造力や財源と補完関係にあります。インドは新たな投資先や市場を求める日本企業にとって、素晴らしい機会を提供しています。このような背景のもとでの山陰インド協会の設立は、大変適切かつ時期にかなったものであります。

 インドの友情の最新の象徴が、日本の精神文化の故郷、出雲大社が位置するこの山陰地方にできたことを大変喜ばしく感じております。仏教は古代インドからこの山陰地方に渡ってきました。昨年私たちは松江市の中村元記念館の設立とともに中村元先生の生誕100周年記念をお祝いしましたが、山陰は中村先生にもゆかりが深い土地です。山陰インド協会は、古代から続く精神的な絆と現代における経済関係という二本の柱に基づいています。また最も重要な点として、同協会は印日両国の国民をつなぐ架け橋になるでしょう。

 協会がこれほどの短期間において100名以上の会員を得ているとお聞きし、うれしく思います。また、島根県、鳥取県、中海・宍道湖・大山圏域は協会設立のために力を合わせました。インドは、「ルビー」で知られる山陰地方のIT産業、環境技術、食品加工業とのタイアップを必要としています。これらの部門はインドが持つ力とニーズと完璧な補完性を持っています。

 中村元記念館審議会の古瀬誠会長、山陰中央新報社の山根常正会長、中海・宍道湖・大山圏域の商工会議所の会頭の皆さま、そして溝口善兵衛島根県知事閣下、平井伸治鳥取県知事閣下がささげてくださるインドへの友情に対し、心より感謝申し上げます。

 山陰インド協会が創立者の期待通りに発展し、また印日両国間の友情の絆と経済関係を深めるという目的を達成できるように、インド大使館も大いに支援させていただくことをお約束申し上げます。

2013年6月14日 無断転載禁止