悠久のくに(7) 朝酌の促戸(下)(松江市)

松江市大井町から望む大山と中海が心を和ませる。出雲国風土記が描く景勝の地をほうふつとさせる
湧き出る水が涼感を呼ぶ目無水。当地が出雲国風土記に記された邑美冷水とされている=松江市大海崎町
景勝地に男女集い宴

 松江市の朝酌地区が古代、交通の要衝として栄えたことが出雲国風土記から分かる。朝酌公民館の吉岡正至館長(70)は「レベルの高い文化が栄え、豊かな生活があった」と推測し、恵まれた立地条件により、にぎわった姿を思い描く。

 朝酌の地名は、熊野大社(松江市八雲町熊野)に鎮座する熊野大神に、朝夕の神饌(しんせん)(神に供える酒食)をささげていた部族の集落があり、朝の御膳(ごぜん)に奉仕する部族(くみ)という意味で朝酌という。吉岡館長は「ささげ物の生産地として漁業、農業が盛んだった」とみる。

 それを裏付ける記述が風土記に登場する。「春秋の漁期には、この促戸(せと)を出入りする大小さまざまな魚群が筌(ひび)の周辺に集まり、筌に当たって驚き跳ねる」。筌は小枝を束ねて魚を引っかける単純な漁具。朝酌の促戸では多くの筌を浅瀬に仕掛けて魚を捕っていた。

 人々でにぎわった市場の近くにあった大井浜は、須恵器の生産地であり、古墳時代から平安時代まで約400年にわたり量産が続いた。大井浜付近の山林には燃料として窯で使う豊富な木材があり、目の前の入り海に須恵器を運び出す港があった。

 伯耆、因幡の奈良時代の遺跡からは、出雲の窯で作られた須恵器とよく似たものが見つかっている。大生産地だった朝酌の須恵器が水運によって広く流通した可能性が大きい。

 一帯は物流と生産の拠点であり、人々が暮らしやすい恵まれた地は、男女の出会いの場でもあった。

 大井浜周辺から南東を望むと、中海を手前に秀峰・大山が床の間に納まるような景色を見せる。風土記はこの景勝の地に、男女が集まり宴(うたげ)を開く場所として邑美冷水(おうみのしみず)と前原埼(さきはらのさき)を特記している。邑美冷水は「人々が常に宴を楽しみ歌い踊る」と表現。松江市大海崎町の目無水(めなしみず)が邑美冷水とされており、目無水では今も清らかな水が湧き出す。

 前原埼については「遊楽に心を奪われ帰ることを忘れる」と記載。若い男女が気に入った相手に歌を通して求愛する歌垣が行われていたことが想定されている。

 島根県立古代出雲歴史博物館(出雲市大社町杵築東)には、邑美冷水と前原埼での宴の様子を再現した模型や歌垣による男女の恋を描いた映像も公開されている。朝酌公民館の吉岡館長は「生活に余裕がないと遊ぶことはできない。男女の出会いに身分や差別はなかったのではないか」と推測する。

 全国で唯一完本として残る地誌・出雲国風土記。先人たちが残した記録は、1300年の時を経ながらも、人々の暮らしや景観をほうふつとさせる。喜びやときめきといった心の躍動をも活写する貴重な資料の存在が、古代の出雲を彩りあるものにしている。

 (文・写真部 杉原一成、写真・同 小滝達也)

2013年7月2日 無断転載禁止