悠久のくに(6) 朝酌の促戸(上)(松江市)

夕暮れ、緩やかに中海に流れ込む大橋川。一帯は奈良時代、多くの人と物が行き交う交通の要衝だった=松江市八幡町の中海大橋から撮影
活気づく奈良時代の朝酌の市の様子を再現した模型=出雲市大社町杵築東、島根県立古代出雲歴史博物館
風土記の景観今も残る

 海水と真水が入り混じる宍道湖と中海が水都・松江を象徴し、東西に流れる大橋川が両湖を結ぶ。大橋川には6本の橋が架かり、市民が容易に南北に行き交う。しかし、1300年前の奈良時代にさかのぼると、様相は一変する。出雲国風土記が編さんされた733年当時、現在の松江市中心部には入り海が広がり、大橋川を挟んで南北の両岸が最も近かった場所が、松江市朝酌の南側一帯だった。

 島根郡朝酌郷(しまねのこおりあさくみのさと)といい、川の南側に意宇(おう)平野と出雲国府があった。北側の島根半島には隠岐への航路の起点となる千酌駅(ちくみのうまや)があり、朝酌が国府から隠伎国に至る交通の要衝に位置したことが分かる。

 川を渡る地を出雲国風土記は「朝酌の促戸の渡(わたり)」と記す。促戸は瀬戸で、海峡の狭まった所。船が用いられ、朝酌町と対岸の矢田町の間で船が往来する「矢田の渡し」が古代の名残をとどめる。

 「風土記の景観が今も残る貴重な場所。風景を見つめていると、古代が浮かび上がってくるようだ」。島根県立古代出雲歴史博物館(出雲市大社町杵築東)の森田喜久男専門学芸員(49)は、1300年の時を経て今なお渡し船が存在することに驚く。

 出雲国風土記は、朝酌の促戸の渡一帯の様子を活写している。「浜辺は人々で騒がしく、家々もにぎわって売り買いの人が近在から集まり、自然に市場を成している」。水陸交通の要衝の地に活気づく市場の盛況が立ち上ってくるようだ。

 現に、古代出雲歴史博物館には朝酌の市場を模型で再現したコーナーがある。タケノコやカブなどの野菜を売る女、右手に掲げたスズキを売りさばこうと威勢良く声を出す男。アワビやシジミといった日本海と汽水湖双方の恵みや、鉄の鎌、薬草などもあり、現在に通じるような市場のにぎわいと人々の暮らしぶりが一目で理解できる。森田専門学芸員たちは現地調査の結果を踏まえながら、古代の人々の視点に立って復元した。

 出雲国風土記の記載から、島根郡の「朝酌の促戸の渡」と意宇郡の「忌部神戸(いんべかんべ)」の2カ所に市場があったことが分かる。双方に共通するのは、水上交通と陸上交通が交差する場所。多くの人々が行き交い、自然と市が立っていった様子が想像できる。

 朝酌の促戸の渡があった場所に立つと、大橋川の南岸に国道9号とJR山陰線、東側に中海大橋が見え、今も交通の要衝の地と実感できる。この景色の中に、活発な人と物の往来が1300年間、連綿と営まれてきた史実が刻まれている。

 (文・写真部 杉原一成、写真・同 小滝達也)

2013年6月18日 無断転載禁止