悠久のくに(8) 鉄穴流しの棚田景観(奥出雲町)

奥出雲町竹崎の追谷集落の鉄穴流しで造られた棚田の風景。地元住民により棚田を見渡せる場所に展望台が築かれており、棚田の緑と民家の屋根の赤瓦がコントラストを成す
たたら製鉄を営んだ卜蔵家の本拠地だった追谷集落には、原たたらの高殿跡の近くにカツラの木と、明治期に大量の製鉄の成功を祝して建立した頌功石が残されている=奥出雲町竹崎
棚田の間に位置するこぶのような鉄穴流しの残丘。残丘は墓地が多く、鉄穴流しによって削られずに残された=奥出雲町大呂の福頼集落
たたらとともに豊穣得る

 古事記や日本書紀の神話で、高天原(たかまがはら)を追放されたスサノオが最初に降り立った候補地とされる船通山。島根県奥出雲町の船通山北西にある丘陵一帯の広大な棚田を巡った。田んぼの上を吹き抜ける涼しい風が心地よい。一見、何の変哲もない棚田だが、成り立ちを知って驚いた。

 眼前に広がる棚田の大半が鉄穴(かんな)流しによって生み出されていた。棚田の風景は奥出雲の人々が中世から近世、近代と約500年間、丘陵を削り続けて創り出した特異な景観だった。

 奈良時代の733年に編さんされた出雲国風土記で仁多郡の条には、横田郷(よこたのさと)など四つの郷から出る鉄は質が固く、種々の器具を作ることができると記述。古代から優れた鉄の産地であり、鉄生産が盛んに行われたことを伝える。

 鉄穴流しは、たたら製鉄の原料となる砂鉄を、山を切り崩し土砂を水流に流して採る技法だ。戦国時代から行われたとみられ、奥出雲町教育委員会社会教育課課長補佐の高尾昭浩さん(45)の案内で同町大呂の福頼集落や稲原、竹崎の追谷集落などの現地を歩くと、面白い風景に出くわす。

 普通、田は農家の前や下にあるものなのに、丘陵の尾根上や家の後ろの山上に水田がある。高い所にあるから「空田(そらだ)」と呼ぶ。さらに、棚田の中にラクダのこぶのような小さな丘が点在する。近づくと、墓地や神社の鎮守の森。信仰の対象なので、削らずに残した残丘だった。

 例えば、奥出雲町の横田地区では3分の1以上の水田に当たる535ヘクタールが鉄穴流しで造られたという。大まかな方法はこうだ。まず山の裾にため池を造って、冬に降り積もる雪がもたらす豊かな水を利用。尾根上に掘った水路と点々と配置した池に大量の水を流し、土砂を削って流し、砂より重い砂鉄を採る。

 通常、世界の鉱山では鉱物を採った後、荒廃することが多い。ところが、当地では豊穣(ほうじょう)の地に生まれ変わり、たたら製鉄が特産の仁多米を育んできた歴史を持つ。単に砂鉄を得るだけではなく、田と米も生み出した「たたらマジック」。自然を上手に活用してきた先人の知恵と工夫、悠久の営みに思いをはせる。砂鉄を得るために掘った水路や池は今もかんがい施設として生きている。

 奥出雲町は一帯を「奥出雲のたたらと棚田の文化的景観」として国の重要文化的景観への選定を目指す。実現すれば中国地方で初となる。

 高尾さんは「奥出雲は鉄や米の運搬を担った和牛の産地でもあり、たたら製鉄は裾野の広い総合産業。しかも鉄穴流しと米作りや、山林を輪伐した炭作りが物語るように人と自然が共生した持続可能な産業だった」と価値を説く。

 文化的景観は産業と歴史、環境、景観といったつながりを総合的に理解する上で、優れた地域資源となる。次代を担う子どもたちの古里への誇りや、交流人口の拡大による地域活性化など夢が膨らむ。

 (文・生活文化部 引野道生、写真・写真部 小滝達也)

2013年7月16日 無断転載禁止