島根ふるさと遺産100選 (9)海に育まれた歴史、文化

長い海岸線を持つ島根。海に育まれた歴史や文化、海が刻んだ自然の造形美などを紹介する。

復元され中海に浮かぶ北前船のみちのく丸=2011年7月
日御碕神社と日御碕灯台(出雲市)

 朱塗りの社殿が印象的な日御碕神社と、日本一の高さを誇る白亜の灯台・出雲日御碕灯台。ともに出雲市大社町日御碕、島根半島西端で存在感を放つ。

 海辺に鎮座する日御碕神社は、アマテラスオオミカミと弟のスサノオノミコトを祭る。楼門から境内に入り、正面がアマテラスを祭る日沈宮(ひしずみのみや)(下の宮)。右手上に、スサノオを祭る神(かむ)の宮(上の宮)がある。別々の場所にあった二つの宮を、平安時代に同じ境内に祭るようになった。

 今の社殿は徳川3代将軍・家光の命による造営で、国の重要文化財になっている。

 日御碕神社の北西約400メートル、日本海を見下ろす断崖に立つ出雲日御碕灯台は1903年の完成以来、110年にわたって海上を行き交う船舶の道しるべとなっている。

 松江市美保関町森山の石材を使用した石造りで高さは43・65メートル。灯台内部の163段のらせん階段を上れば上部からの眺望を楽しむことができる。8月末まで毎日、夜のライトアップも行われている。

日本海を見下ろす断崖に立つ出雲日御碕灯台
北前船ゆかりの港町

 美保関や隠岐、鷺浦など日本海沿岸の港町は、かつて北前船の寄港地として栄えた。

 世界遺産の石見銀山遺跡で、銀の生産資材が陸揚げされるなど、銀山の発展とともに繁栄した大田市温泉津町もその一つだ。

 関連資料によると、1672年に西回り航路が開かれ、寄港地として定められた。17世紀の温泉津は、年貢米積み出しと、銀山の資材や生活物資の陸揚げが主な役割で、18世紀に入り、北前船の入港が増加。回船問屋が立ち並んだ。

 1840年ごろから粗陶器の生産が始まり、北前船によって、販路が北陸方面に伸びていった。

 町場は活況を呈したが、次第に北前船の入港が減少し、86年ごろから陰りが見え始めたという。

 2004年には重要伝統的建造物群保存地区に選定された温泉津。航海の安全祈願などで信仰を集めた神社があり、船を係留した「鼻ぐり岩」が残るなど、港の歴史をうかがわせる景観を今に留めている。

海食崖が続く国賀海岸
隠岐の海岸(隠岐郡)

 隠岐郡を形成する島後(隠岐の島町)、島前(西ノ島町、海士町、知夫村)の4島は約600万年前に噴火した火山が基になった。その後、氷河期と間氷期に半島や島になることを繰り返し、現在の姿となったのは約1万年前とされている。

 隠岐の海岸線は、海食と風化により起伏に富む。自然が造りだした雄大な風景は、世界ジオパークネットワーク加盟に向けて昨年、現地審査を行った審査員も絶賛するほどだ。

 火山の流失を裏付ける痕跡が、隠岐地区の海岸線を彩る。

 隠岐の島町の白島海岸は、名前が示す通り白い岩で形成され、多くの海食洞が散見される。西ノ島町の国賀海岸は日本最大級の高さ257メートルの摩天崖を筆頭に、約13キロにわたり200~250メートルの海食崖が続く。海士町の明屋海岸は赤褐色の断崖と奇岩が点在する。知夫村の赤壁は、アルカリ成分の多い火山岩類が赤、黄、茶の色鮮やかな高さ50~200メートルの断崖をみせるなど、見どころのある景勝地が並んでいる。

雨にぬれ、彩りを増す青石畳通り
美保神社と仏谷寺・青石畳通り(松江市)

 島根半島の東端に位置する松江市美保関町美保関は中世以降、海上交通の要衝として栄え、江戸時代には北前船の寄港地にもなった。

 美保関港に近い美保神社は、三穂津姫命(みほつひめのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ)を祭る。重要文化財の本殿は、大社造を2棟並べた比翼大社造(美保造)と呼ばれ珍しい。

 事代主神は海上安全と商売繁盛の神「えびす様」として知られ、同神社が全国にある「えびす社」の総本社だ。国譲り神話に基づいた青柴垣(あおふしがき)神事と諸手船(もろたぶね)神事は、出雲地方を代表する祭り。

 神社前には青石畳通りがある。江戸から明治時代にかけ、美保関港に出入港した北前船の物資を運んだ石組みの道。雨にぬれると青みを帯びた色になり、通りに並ぶ歴史ある旅館や民家の趣が変わる。

 神社から青石畳通りを約250メートル進むと、後鳥羽上皇と後醍醐天皇ゆかりの仏谷寺にたどり着く。境内の大日堂には、国の重要文化財になっている5体の仏像が安置されている。

2013年8月6日 無断転載禁止