悠久のくに(9) たたら製鉄と日本刀(安来市、邑南町、奥出雲町)

安来市安来町の和鋼博物館に展示されている天秤(てんびん)ふいごやたたら製鉄用具。世界に誇れる鋼の技の歴史を今に伝える
安来市黒井田町の高広横穴墓から出土した双龍環頭大刀(島根県立古代出雲歴史博物館提供)
 輝き続ける先人の技術

 砂鉄を原料に用いるたたら製鉄は島根でいつから始まったのか。奈良時代の733年に編さんされた出雲国風土記の飯石郡の条に、波多小川(はたのおがわ)と飯石小川に「鉄(まがね)あり」と記され、川で砂鉄が採取されていたことが分かる。

 さらに邑南町の今佐屋山製鉄遺跡は6世紀後半、古墳時代後期の日本最古級のたたら製鉄遺跡。砂鉄そのものが出土し、安来市安来町の和鋼博物館に展示されている。

 和鋼博物館では、高広横穴墓(安来市黒井田町)で見つかった双龍環頭大刀の復元品が目を引く。実物は化学分析で砂鉄が原材料と判明。今佐屋山と同じ古墳時代後期に造られた。2匹の龍が玉をくわえる柄頭の装飾から大和政権が配布した刀とされる半面、同館の高岩俊文学芸員(35)は、たたら製鉄で生じる不純物の鉄滓(てっさい)が高広横穴墓に副葬されていた事実に注目。「鉄滓は周辺一帯で製鉄が行われていた証し。大刀もそこで造られた可能性がある」とみる。

 島根を含む日本国内では古墳時代後期からたたら製鉄が営まれ、出来上がった鋼(はがね)で連綿と刀が造られてきた。このたたらと日本刀のつながりを科学的に分析してきた和鋼博物館前館長・八十(やそ)到雄さん(67)=工学博士=の研究成果に驚かされる。

 八十さんは今の時代から見て「現代の最先端技術による鋼材並みの優れた高硬度鋼を造る技術が平安時代中期から後期の段階で完成していた」と説く。平安時代は古代で、中後期はおおむね11~12世紀ごろ。無論、顕微鏡や分析機器がない時代だ。たたらの技師長である村下(むらげ)と刀鍛冶(かたなかじ)の経験則が積み上げられ、中国地方で優れた技術が生み出された。

 具体的には、たたら製鉄で造られた玉鋼を刀鍛冶が1300度でたたき、折り返し鍛錬を十数回行う。これによって炭素濃度を0・6%レベルに下げる。材料強度学から見てこの濃度こそ、硬さとねばり双方のバランスがとれ、硬く折れにくい刀ができる。

 たたら製鉄は低温製錬で効率的に鋼ができ、リンやチタンなどの不純物が入りにくい特長を持つ。刀鍛冶が粘土や炭の粉などの焼き刃土を刀に塗って焼き、冷却する焼き入れの工夫も、刃紋が生まれるとともに強度を上げる。八十さんは「美しさと強さを兼ね備えた日本刀を造る技術が古くからできていたことは素晴らしい」と先人の創意工夫を高く評価する。

 そうしたたたらの歴史を和鋼博物館が今に伝える。前身は日立製作所安来工場の和鋼記念館。太平洋戦争の戦時中から展示品を収集し、250点に及ぶたたら製鉄用具は一括して国の重要有形民俗文化財に指定されている。

 たたら製鉄自体も島根県奥出雲町の日刀保(日本美術刀剣保存協会)たたらで、毎年冬に行われている。日本国内で唯一、今も操業されているたたらであり、出来上がった鋼から刀匠たちが日本刀を鍛え上げる。連綿と受け継がれてきた知恵と技は、今も輝きを失わない。

2013年8月13日 無断転載禁止