悠久のくに(10) 玉造温泉(松江市)

夕暮れ時の玉造温泉街。出雲国風土記に記された「神の湯」の効能を求めて全国各地から入湯客が訪れる=松江市玉湯町玉造、旅亭山の井から撮影
湯薬師橋の近くの玉湯川。左側の川原に出雲国風土記に書かれた「川辺の出湯」跡があった=松江市玉湯町玉造
風土記が伝える美肌の湯

 山陰を代表する名湯・玉造温泉(松江市玉湯町玉造)は日本最古の温泉の一つ。奈良時代の733年に編さんされ、全国で唯一完本として伝わる出雲国風土記に登場する。その記述が具体的で面白い。

 老若男女が毎日のように集い、市場をなすようで盛んに入り乱れて酒宴を楽しむ、とにぎやかな光景を活写。湯の効能を「一たび濯(すす)げば形容端正(かたちきらきら)しく、再び沐(ゆあみ)すれば万病悉(ことごと)く除(い)ゆ」と、一度入浴すると顔や肌が美しくなり、再びつかると万病が治るとし、必ず効き目があるので「神の湯」と呼ばれていたことを伝えている。

 出雲国風土記に現在の湯村温泉や海潮温泉など温泉が4カ所登場するが「形容端正しく」の描写は玉造のみ。約1300年の時を経て玉造の温泉水で化粧品が作られたことが、風土記の記述を証明する形となった。

 「温泉街の外れに架かる湯薬師橋の一帯こそ玉湯の歴史発祥の地。古代から中世、江戸時代の歴史も見事に重なり合う」。旧玉湯町の助役を務めた松江観光協会玉造温泉支部事務局長の周藤実さん(67)がこう説く。

 現地を歩くとよく分かる。湯薬師橋南の玉湯川の川原には風土記に記された川辺の出湯(いでゆ)跡がある。かつて石囲いの露天風呂があった。玉作湯神社の境内地からは弥生時代末、花仙山周辺で最古の玉作遺跡が出土。神社の祭神は玉作の神・櫛明玉命(くしあかるたまのみこと)、国造りと温泉療法の神・大名持命(おおなもちのみこと)(大国主命(おおくにぬしのみこと))、温泉守護の神・少彦名命(すくなひこなのみこと)の3神だ。

 中世に関しては湯薬師堂が位置。玉湯を治めた佐々木判官義綱が病にかかった際、家臣が夢のお告げで玉湯川を掘ると、薬師如来像が見つかって湯が噴き出し、義綱が湯治をすると病が治ったため、薬師堂を建てた伝承が受け継がれている。

 さらに玉作湯神社の西北には江戸時代、松江藩主の別荘だった御茶屋があり、建物が復元され、一帯が玉作湯の郷公園として整備された。発掘調査で見つかった遺構に基づき、藩主専用の半地下式、3畳ほどの湯殿も復元されている。

 御茶屋は殿様の別荘としては質素な建物だったとされる。歴代藩主は6日間から21日間にわたって滞在し、公務を離れて、湯治や静養を楽しんだ。その中でも、幾度も訪れた7代藩主・松平不昧(治郷)はいかにも大名茶人らしい。発掘調査で窯道具や茶臼も出土しており、不昧はここで銘「曙(あけぼの)」の茶碗(ちゃわん)や茶杓(ちゃしゃく)づくりを楽しんでいる。

 江戸時代、玉造温泉の中心は湯薬師堂の一帯にあった。泉源である元湯や共同浴場、宿屋などの主要な施設が集中。明治期になると温泉街が玉湯川の下流の北側に向かって延びていき、現在に至る。

 温泉街を歩くと、出雲大社の遷宮効果などで平日でも多くの女性客が訪れていることに驚かされる。遠く奈良時代、既に出雲国風土記に明記された玉造温泉の美肌効果。来訪してくれた女性たちは全国にその効能を伝える姫神となり、大国主命や少彦名命をほほ笑ませるに違いない。

2013年8月26日 無断転載禁止