島根ふるさと遺産100選 (11)伝統産業と戦跡

歴史文化を育んだ江の川と、流域の伝統漁、重要な産業の和牛を紹介するほか、戦争を今に伝える滑走路跡地をみる。

豊かな流れをたたえる江の川
江の川(江津市など)

 「中国太郎」の異名を持つ江の川は、中国地方随一の大河として知られる。全長194キロ、流域面積は3900平方キロに及び、広島県北広島町から中国山地を切り裂くように流れ、同県安芸高田、三次両市、島根県邑南、美郷、川本の各町を経て、江津市で日本海に注ぐ。

 河川のこう配が緩やかなため、古くから舟運が発達。水運業やたたら製鉄で栄えた同市桜江町の旧家・中村家には、水運輸送した物資を書き留めた「船手運賃帳」(1872年)が残り、木材や塩、瓦、麦などが頻繁に流通した様子がうかがえる。

 豊かな流れは、流域に時に洪水被害の牙をむく一方で、さまざまな恵みをもたらしてきた。

 肥よくな土地が多い同市桜江町では、ゴボウ栽培や稲作が盛ん。アユ、モクズガニ、ウナギなどが捕れ、江川漁業協同組合(川本町)によると、アユは脂が乗った20センチ程度の魚体が上がる、お盆ごろが最も味わい深いという。

全国ブランド確立を図る島根和牛(昨年の全共を前にした審査会から)
島根和牛(県内)

 島根和牛は、鮮やかな色合いと細やかな霜降り肉を特徴とし、全国ブランド確立を図る取り組みが展開されている。過去9回の全国和牛能力共進会(全共)では内閣総理大臣賞を2度受賞するなど、高い評価を得てきた。

 かつての島根の和牛生産は、豊かな自然の中で子牛を生ませ、その子牛を売って収入を得る「子とり」が中心で、黒毛和種の優良子牛の産地として、全国の和牛産地へ繁殖・肥育用の「もと牛」を供給していた。

 1970年ごろから、品種改良により「第7糸桜号」を代表とする優秀な種雄牛が誕生。島根和牛の名を全国に知らしめた。その後、県内での肥育基盤などが整い、繁殖、肥育から、肉の加工販売に至る地域内一貫生産も盛んになっている。2013年2月現在、肉用牛農家1192戸が約3万2千頭を飼養する。

 ただ、昨年10月に長崎県佐世保市であった全共の結果は振るわず、改良の難航や農家の高齢化、頭数減少など課題は多い。これらの課題を克服し、島根和牛の復活が待たれている。

伝統の火振り漁(資料)
火振り漁(美郷町など)

 「バシャン、バシャン」。夜の闇に包まれた江の川に、水しぶきの音が響く。小舟に載せた明かりがともす川面を、漁師が竹ざおで勢いよくたたく。驚いたアユが逃げ惑い、川幅いっぱいに張った網に次々とかかっていく。美郷町などで行われている伝統の火振り漁だ。

 光をいやがるアユの習性を利用し、川面を強くたたいて脅し、網に追い込む。江の川に伝わる多様な漁法の中でも代表格で、主に、梅雨が明け、川の水が減る夏場に行われる。

 舟の先端で竹ざおを振る船頭と、末尾でかじを取る「かじこ」の2人が息を合わせる漁法。竹ざおを何度も打ち付けたり、深く沈めた網を引き上げたりと重労働を伴い、漁師の高齢化などで、昔ほど盛んでなくなっているのが現状だ。

 それでも、舟にエンジンを付けたり、明かりを固形燃料を使ったガスランプから電灯に変えたりして、川漁師たちは負担軽減や便利さを追求。漁師たちの言い伝えで明治初期から続くとされる伝統の漁法は、昔と形態を変えながらも続いている。

攻撃機「銀河」がかつて飛び立った新川滑走路跡地
新川滑走路跡地と新川(段原)鉄橋(出雲市斐川町)

 太平洋戦争末期の1945年、旧海軍は旧簸川郡出西村に航空基地を建設した。出雲市斐川町出西地区には、広大な新川滑走路跡地などが今でも残り、戦争の歴史を後世に伝えている。

 基地は、斐伊川下流域の同地区から分流し宍道湖までを流れていた新川の川跡を中心に建設。長さ1500メートル、幅60メートルの滑走路や発進指揮所、兵舎などのほか、戦闘機の誘導路沿いには森や林を利用した機体を隠す「掩体壕(えんたいごう)」があった。

 基地に配備されたのは、当時最新鋭の攻撃機「銀河」と、特攻用の人間爆弾「桜花」。銀河は幾度か戦地へ飛び立ったが、桜花は一度も使われることなく終戦を迎えた。

 現在、誘導路は市民の生活道となっているが、山に壕を掘って作った爆弾や機関銃、医療、食料品の格納庫は今でもその名残を見ることができる。

 さらに、同町直江のJR山陰線の新川(段原)鉄橋には、米軍戦闘機による銃弾の貫通痕が数カ所残る。1945年7月28日の山陰地方への空襲の爪痕で、滑走路とともに、大戦の記憶を残す。

2013年9月2日 無断転載禁止