悠久のくに(11) 出雲の玉作りと花仙山(松江市)

大角山遺跡(松江市乃木福富町)と福富【1】遺跡(同)で見つかった古墳時代中期の玉の未成品と制作に使われた砥石(といし)など。玉の材料はいずれも花仙山産の碧玉と赤メノウ、水晶が用いられた=出雲市大社町、島根県立古代出雲歴史博物館常設展総合展示室
花仙山山頂付近から望む宍道湖と松江の市街地
江戸時代の終わりごろ、花仙山で碧玉が掘られた採掘穴。のみの跡が壁面に刻まれている=松江市玉湯町玉造のめのう公園
玉造温泉街の東側に位置する花仙山。低くなだらかな形をしている=松江市玉湯町林から撮影
 赤と緑の輝き王権魅了

 北側に神がこもる神名火山(かんなびやま)とされた朝日山をはじめ、島根半島の山並みが連なり、眼下に宍道湖が広がる。松江市玉湯町の花仙山(標高199メートル)の山頂に立つと、予想以上に眺望が開けた。

 花仙山は奈良時代の733年に完成した出雲国風土記にも記された玉湯の温泉と玉作り双方の要を成してきた。花仙山が地下深くにある玉造温泉の熱源にふたをして閉じ込め守る構造になっている。さらに古来、深い緑色をたたえ「出雲石」と呼ばれて国内最高の品質を誇った碧玉(へきぎょく)をはじめメノウと水晶の豊かな「玉作山」(出雲国風土記)だった。

 「神話の国と呼ばれる出雲の政治的宗教的に特異な地位をもたらしたのが玉ではないか。大和王権を支え、王権と全国の首長を出雲の玉が魅了したのは間違いない」。島根県埋蔵文化財調査センター国事業調査第一係長の深田浩さん(42)の言葉が熱を帯びる。

 調査研究成果を学ぶと確かに「究極の出雲ブランドこそ出雲の玉」と実感できる。約2000年前の弥生時代前期から古墳時代、一貫して玉作りを行ったのは全国でも出雲だけ。鉄器が普及した約1800年前の弥生後期から花仙山の碧玉が用いられ、古墳時代前期の4世紀後半には大和王権が各地の首長に配布する物の中に出雲の玉が加わる。

 さらに古墳時代中期の5世紀後半、大和政権が玉作りの生産と流通を直接管理した実態を示す全国最大の工房跡・曽我遺跡(奈良県)から大量の花仙山の石が出土。出雲の工人が呼び寄せられ、玉作りにより王権を支えた様子がうかがえる。古墳時代後期の6世紀には北陸などが生産をやめ、一極集中の形で出雲が全国の玉作りを担う。花仙山周辺に工房が集中し、大量生産態勢ができあがった。

 とりわけ深田さんは古墳時代前期の4世紀後半、花仙山の赤メノウで初めて作られた勾玉(まがたま)に注目し「よくぞ作ったと思う。出雲の自己主張以外の何ものでもない」と説く。それまで日本では玉は緑の石で作る伝統があった。それを覆したのだ。驚くべきことに各地の古墳の出土品をたどると古墳時代後期には勾玉と言えば赤メノウに収れんされていく。

 深い緑の碧玉と赤いメノウ。双方がそろうと互いに引き立つ。まるで静と動、水と火ないし血といった対照性が呪力(じゅりょく)を高めたのだろうか。

 出雲の玉作りは古墳時代の終わりとともにいったん終息するが、奈良時代に復活し、平安時代にも行われた。天皇に定期的に出雲の玉が贈られ、宮廷祭祀(さいし)に必要な物として用いられている。

 碧玉と赤メノウに水晶さえも産出した全国有数の宝の山・花仙山。ここから生み出された究極のブランド品は、出雲だけでなく古代日本の政治や社会情勢を読み解いていく極めて重要な手掛かりを秘めている。

2013年9月10日 無断転載禁止