島根ふるさと遺産100選 (12)重要遺跡と文化財

古代出雲の謎を秘めた重要遺跡や文化財-。今回はロマンあふれる歴史の世界にスポットを当てる。

古代出雲の様子をほうふつさせる西谷3号墓
西谷の四隅突出型墳丘墓群(出雲市)

 出雲平野や斐伊川、島根半島の山並みを一望できる国指定史跡・西谷墳墓群(出雲市大津町)は、全国最大級の四隅突出型墳丘墓が並び、歴代の出雲王が眠る丘だ。

 墓群は1953年、地元の中学生が土器を発見したことで遺跡として知られた。島根大による調査や出雲市教育委員会の調査により、弥生時代の後期後半から古墳時代中期(2世紀後半~5世紀ごろ)にかけて造成された、総数32基の墳墓群とわかった。

 うち6基は山陰地方独特の「四隅突出型墳丘墓」。四角の隅が突き出す形で、中でも2、3、4、9号墓は弥生墳丘墓として全国でも最大級を誇る。

 初代王が女王とともに葬られたとされる3号墓は、長辺52メートル、短辺42メートル、高さ4・5メートル。墓上に発見された4本の柱跡から、施設を建て祭りが行われていたとされる。内部の2基の木棺からは鉄剣やガラスの管玉の首飾りが出土。国内に類のない、コバルトブルーに透き通ったガラスの勾玉(まがたま)の輝きは、偉大な古代出雲の姿をほうふつさせる。

県立古代出雲歴史博物館で展示の目玉となっている国宝の加茂岩倉遺跡の銅鐸
荒神谷、加茂岩倉の青銅器群(出雲、雲南市)

 国宝に指定されている荒神谷遺跡(出雲市斐川町神庭)、そして加茂岩倉遺跡(雲南市加茂町岩倉)から出土した青銅器群。古代の青銅器文化の定説を根底から覆す歴史的な大発見は全国の考古学者や歴史学者らに衝撃を与えた。

 荒神谷遺跡では1984年、当時の全国の銅剣出土総数約300本をはるかに上回る358本の同じ形をした銅剣が、4列に並んだ状態で一度に姿を現した。さらに翌年の85年、同じ山の斜面で、銅鐸6個と銅矛16本を発掘。1カ所の遺跡から3種類の青銅器が大量に見つかったことは例がなく、注目を集めた。

 荒神谷の発見から12年後の1996年には、加茂岩倉遺跡で農道の工事中に、大量の銅鐸が出土。その後の発掘調査で銅鐸の総数は39個となり、1カ所からの銅鐸の出土数としては全国最多を誇る。

 同遺跡は荒神谷遺跡と山を隔てて約3キロしか離れていない。さらに荒神谷の銅剣344本と加茂岩倉の銅鐸14個に「×」印の刻印があることから、関係性が指摘され、古代出雲の勢力を解明する重要な手がかりとして貴重な史料となっている。

深く掘り込まれた環壕が山腹を巡る田和山遺跡
田和山遺跡・史跡公園(松江市)

 約2千年前の環壕(かんごう)が三重にわたって山腹をめぐる田和山遺跡(松江市乃白町)。弥生時代の集落遺跡は、柱穴群を柵で囲んだ山頂部、それを取り囲む三重環壕、さらに外側に住居跡がある珍しい構造を持つ。

 環壕の規模は最大で幅7メートル、深さ1.8メートル。長さは200メートルを超え、断面は逆台形かV字形をしている。山頂部では5本と9本の柱遺構を確認。9本の柱は出雲大社の大社造りの源とも考えられている。

 北側では竪穴住居8棟と掘立柱建物11棟も見つかった。また、3千個を超えるつぶて石、200個の石製やじりが出土している。

 同遺跡は松江市立病院建設に伴う発掘調査で発見。当初は壊される予定だったが、保存を求める市民らの活動によって、市は病院と遺跡を並立する方針を決めた。

 2001年には国史跡に指定、その後は史跡公園として整備された。標高46メートルの山頂からは、宍道湖や出雲国風土記に登場する山を見渡すことができる。

島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている平安時代の出雲大社本殿の大型模型
古代出雲歴史博物館(出雲市)

 新たな地域文化の創造や観光拠点として2007年3月に開館した島根県立古代出雲歴史博物館(出雲市大社町杵築東)。特別展「平成の大遷宮 出雲大社展」開催中の今年6月8日には、通算来館者が200万人に達した。節目となった広島県竹原市の女性(25)は来館5回目のリピーターで、同館が県内外の歴史ファンらを魅了し続けていることを物語った。

 出雲大社の東隣りに立つ同館は、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から出土した青銅器をはじめ、出雲大社境内で出土した巨大な宇豆(うづ)柱、高さが48メートルあったとされる出雲大社高層神殿の復元模型(高さ約5メートル、全長約13メートル)など、島根が全国に誇る文化財や歴史資料を数多く展示する。

 常設展は「出雲大社と神々の国のまつり」「出雲国風土記の世界」「青銅器と黄金の大刀」のテーマ別展示などで構成する。

 企画展示も多彩に展開。10月以降は「山陰の黎明(れいめい)-縄文のムラと暮らし-」「『隠岐之国』-島々の歴史と文化-」と地域に根差した展覧会が続く。

2013年9月16日 無断転載禁止