悠久のくに(12)大船山(出雲市)

夕暮れの大船山。尾根にオレンジ色の雲がかかる中、雑草を焼く炎が幻想的な雰囲気を醸し出す=出雲市園町から撮影
楯縫郡の神名樋山の大船山。南から見るとわんを伏せた形に見える=出雲市多久町
烏帽子岩と呼ばれ、出雲国風土記に記された石神の巨岩=出雲市多久町
 古代びとたちの信仰対象


 宍道湖を取り巻くように、神が隠れこもる山とされた神名樋(かんなび)(火(び))山が四つある。このうち、北西側に位置する出雲市多久町の大船山(標高327メートル)に登り、あやうく遭難しそうになった。山頂付近の雑木林の中で迷ってしまった。

 奈良時代の733年に編さんされた出雲国風土記の楯縫郡の条には、神名樋山の大船山について、峰の西側に高さ約3メートル、周囲約3メートルの石神と小道に小さな石神が100余りあると記述。石神は、阿遅須枳高日子命(あぢすきたかひこのみこと)(大国主(おおくにぬし)の子)の妃(きさき)・天御梶日女命(あめのみかじひめのみこと)(が多久で産んだ多伎都比古命(たきつひこのみこと)の魂が宿っており、日照りに際しこの神に雨ごいをすると必ず雨を降らせてくれる、と記す。

 気を取り直して慎重に再挑戦し、山頂から谷を隔てて西側に回ると尾根上が大小の岩だらけになる場所に差し掛かった。まるで岩の参道だ。先を進むと尾根の突端に確かに石神があった。烏帽子岩(えぼしいわ)と呼ばれ、表面がツタで覆われている。見上げると高さは3メートル以上ある。岩の場所から遠く出雲平野や三瓶山を望める。

 山頂からの位置や大小の岩と石神を見るとまさに風土記の描写通りだ。風土記の情報は奈良時代に実際、登った人がもたらしたに違いない。約1300年の時を経て、風土記に描かれたそのままの状態で古代びとたちの信仰の対象が目の前にある事実に感動する。米作りが人々の命を左右した中で、雨ごいは切実で敬虔(けいけん)な祈りだったのだろう。

 驚くべきことに、石神を対象とする信仰はさらにさかのぼる可能性がある。大船山の西側中腹の岩陰や小さな滝の滝つぼ付近で、弥生時代末から古墳時代初めの土器が見つかっており、人々が祭りを行っていたのだろう。

 歴史学や民俗学、考古学、国文学などの成果を学際的に駆使して出雲国風土記の研究の基礎を固め、道筋を切り開いたのは雲南市加茂町出身の故加藤義成さんだ。加藤さんは20年間、石神の調査を望んだ末、ようやく1962(昭和37)年、地元の人に案内され、感動のあまり巨岩に抱きつき「岩肌の荒らきを抱きて泣きにけり求めつ老いて見得し石神」と和歌を詠んでいる。

 加藤さんは古代中国の「陽石雨を降らす」という思想との共通性を思い、岩の下に干ばつでも枯れたことがないという長滑(ながなめ)らの滝があるのは、岩が水神の魂とされるにふさわしいと考察している。

 岩肌に触れながら、約1300年前の風景や人々の心の世界に思いをはせることができるのは、全国で唯一完本の出雲国風土記が伝わっているからこそと実感する。出雲国風土記に導かれて歩くことで郷土の歴史を学び、愛情が深まっていく。加藤さんの和歌から、こうした出雲ならではの魅力や、それを後世に伝える大切さを見いだすことができる。

2013年9月23日 無断転載禁止