島根ふるさと遺産100選 (21)民謡と先人の知恵

 全国的に知られる安来節や関乃五本松節、隠岐民謡と、隠岐独特の牧畑農業を紹介する。

初代渡部お糸さんの遺影の前で安来節を披露する4代目渡部お糸さん(2013年4月)
安来節(安来市)

 島根県の代表的な民謡として知られる安来市の「安来節」は、どじょうすくい踊りや銭太鼓としても全国的に親しまれる。同市古川町の安来節演芸館に本部を置く安来節保存会(会長・近藤宏樹市長)は全国に65支部、会員3700人を擁する。

 江戸時代に原型ができたとされる安来節。初代渡部お糸(1876~1954年)が全国区に押し上げた。1911(明治44)年の保存会結成で活動の場を広げたお糸は、16(大正5)年、民謡日本一を決める全国俚謡(りよう)大会で優勝。レコードを発売した。

 お糸一座は全国各地の巡業を成功させると、19(大正8)年には東京、大阪に安来節の上演専門館が誕生。日本有数の民謡として一気に定着した。

 保存会は現在、唄と絃、鼓、踊り、銭太鼓の5部門を設け、資格審査を実施。唄い初め(1月)とお糸まつり(4月)、全国優勝大会(8月)の3大行事を市内で開くなどし普及啓発を図る。お糸まつりは今年、60回目の節目を迎える。

新年に行われる唄い初め会で関乃五本松節を奉納する参加者
関乃五本松節(松江市)

 島根半島の東端に位置し、海上交通の要衝として栄えた松江市美保関町には、民謡「関乃五本松節」が伝わる。安来節とともに島根県を代表する民謡は、人々にうたい継がれている。

 美保関は江戸時代、北前船の寄港地として多くの船が入港した。その船が目印にしたのが、港近くの小高い丘にある5本の黒松で、沖合からもよく見えたため、灯台の役割を果たしていたという。

 しかし、美保神社詣でをする松江藩主が眺望の邪魔になると1本を伐採。船人たちは怒ったが表だった抗議もできず、やり場のない気持ちを「1本切りゃ4本 あとは切られぬ夫婦松」と歌詞に込めたのが民謡の由来とされる。

 船舶の往来を見守った松があった標高約130メートルの場所は、五本松公園として整備され現在は3代目の松がある。毎年10月には唄、絃(三味線)、太鼓、踊りの4部門で順位を争う全国大会が開かれ、参加者が日ごろの練習成果を競っている。

西ノ島町鬼舞で石を積み上げた壁が連なる牧畑の遺構
牧畑農業(隠岐郡)

 隠岐諸島の西ノ島町と知夫村を中心に行われていた「牧畑農業」。平野部分が少なく、必然的に山肌が耕作地となっていった。島に住む人々を養う作物を育てるため、耕作には適さないやせた土壌を有効活用する方策を探し求めて生み出された。

 牧畑農業は、約800年前の鎌倉時代の吾妻鏡には既に記載されており、発生時期は不明。海士町や隠岐の島町でも行われていたが、土地が広く、江戸時代には消失した。

 牧畑は数キロにわたり石を積み上げ土地を分割。例として1年目は牛馬を放牧、草を食(は)み土を削ることから耕されていき、ふんが栄養分として土地を豊かにして耕作が可能になる。2年目は大麦、3年目はアワや豆を育てた後、再び放牧が行われる。

 西ノ島町でも、別府や美田地区では牛を飼う人が少なくなり、1955年には消失。今でも牧が残るのは浦郷地区の4カ所のみになっている。牧畑を後世に残す会の口村光房会長は「食糧を確保するため苦労して作り上げた先人の知恵を後世に伝えたい」と話している。

隠岐汽船フェリー岸壁で小皿を打ち鳴らしながら練り歩くしげさ節パレードの参加者
隠岐の民謡(隠岐郡)

 「♪しげさしげさと 声がする」と唄われる「しげさ節」をはじめ隠岐地方には全国的に知られた民謡が多い。江戸時代中期から後期、北前船の風待ちの寄港地として栄え、北前船の船頭や船員が島民と交流する中で歌声を披露。それを島民がうろ覚えで唄い、隠岐独特の方言が混じり合って独自の唄となっていった。

 現在新旧の民謡を合わせて17曲あり、全てに踊りがついており小物を持って踊るのが全国的にも珍しい。島民が娯楽として楽しむため何でも手に持って舞った名残が伝わる。隠岐の島町のしげさ節は小皿、海士町のキンニャモニャはしゃもじ、知夫村のどっさり節はそば打ち棒を持つ。

 民謡には隠岐が国立公園に決まった時に新たにできた歌詞もあり「しげさ節」にも3種類ある。全ての唄がにぎやかで明るい中にも哀調があり、難しい唄と言われる。

 隠岐の観光にも一役買っており、4月には隠岐の島町でしげさ節パレード、8月には海士町でキンニャモニャ祭りがあり、全国から踊りに参加する人が来島する。

2014年1月21日 無断転載禁止