(50)史跡益田氏城館跡(益田)

復元された三宅御土居の木組み井戸。奥の山が七尾城跡
交流人口増へ活用進む

 中世期、現在の益田市一帯を本拠にしていた益田氏。居城の七尾城跡(益田市七尾、大谷両町)と、館跡の三宅御土居(同市三宅、東両町)は「史跡益田氏城館跡」として、国史跡に指定されている。

 益田氏は中世初期から約400年間、有力武士団として県西部を治めた。毛利氏に服属して、石見をはじめ、出雲、周防(山口県)、長門(同)、筑前(福岡市)の5カ国それぞれ一部を領地として獲得した。

 益田氏の財政基盤を支えた中須東原遺跡(益田市中須町)では、アジア各国で製造された陶器の破片が見つかっている。益田氏はアジア各国と交易し、海洋領主として活躍したとされる。

 居城の七尾城跡は広さ約26万6千平方メートル。自然の要害を生かした中世の典型的な山城で、築城時期ははっきりしないが、1190~1281年ごろという。

 本丸、二の段などの跡が残り、本丸跡からは益田市の市街地全域を見渡すことができる。一時、毛利氏と敵対する緊迫した政情となったため、19代藤兼が改修して、家臣とともに常駐した。

 しかしその後、益田氏は毛利氏に服属したため、居宅としていた三宅御土居に戻った。

 この三宅御土居は広さ約3万1千平方メートルで、1368~74年ごろの築造。「戦国期の地方豪族の居館がよく保存されている」と高く評価されている。昨年11月から本格的な発掘作業も始まり、館の時代的な変遷が調査されることになる。

 地元では、益田氏城館跡を活用し、交流人口の拡大につなげる活動も始まっている。2011年に地元住民約20人が「益田歴史を活(い)かしたまちづくりの会」を設立。探訪マップの作成や地域の古い地名の掘り起こしなどの活動に取り組む。

 石田貢三会長(59)は「益田氏の歴史を掘り起こすことで、歴史愛好家たちに益田に足を運んでもらいたい」と意気込んでいる。

2014年2月6日 無断転載禁止