ヨシダがいく!(2) ハンガリー伝統打弦楽器プロ奏者・斉藤浩さん(松江市)

ハンガリーの民族衣装を身にまとい、演奏を披露する斉藤浩さん=2013年10月9日、三重県四日市市の市文化会館
 癒やしの音色多くの人に

 金属(きんぞく)の弦(げん)135本の1カ所をばちでたたくと、振動(しんどう)で周囲の弦も鳴(な)り、音が重なり合う。ハンガリーの伝統(でんとう)打弦楽器、ツィンバロン。アジア人初のプロ奏者(そうしゃ)・斉藤浩さん(44)=松江市古曽志町=は国内外で演奏(えんそう)し、多くの人の心を癒(い)やしてきた。

 36歳の時、ツィンバロン奏者の最高の称号(しょうごう)「ソリストディプロマ」をアジア人で初めて、スロバキアの音楽学校から贈(おく)られた。以来、ハンガリーやチェコなども含め、年間30~40回の公演を重ねている。

 東日本大震災(しんさい)の発生後は毎年、被災地の仮設住宅を訪ね、演奏を披露(ひろう)。「癒やしの音色を多くの人に届けたい」という思いを深めた。

 吹奏楽(すいそうがく)部に入った小学4年生の秋、松江市での島根大学学園祭で、中国の打弦楽器・揚琴(ヤンチン)を中国人留学生(りゅうがくせい)が演奏する姿を見て、心を奪(うば)われた。

 高校を卒業するまで打楽器を担当し、大阪音楽大学でもイランの打弦楽器サントゥールなどを演奏。周囲の勧(すす)めで大学卒業後、ハンガリーに渡って約1カ月、ツィンバロンを学び、帰国後、同大助手(じょしゅ)とツィンバロン奏者の二足のわらじを履(は)いた。

ツィンバロンの練習に励む斉藤さん=松江市古曽志町
 それから約8年間は「針のむしろに座っているような、つらい日々」。数多くの演奏依頼を受け、出演するたびに実力不足を痛感(つうかん)した。「中途半端(ちゅうとはんぱ)は嫌(いや)だ。ツィンバロンに人生をかける」と30歳で助手の仕事を辞(や)め、再びハンガリーに留学(りゅうがく)した。

 さらに5年間、努力しても思うように演奏できず、「逃げ出したくなったりもした」。異国でも苦悩(くのう)は続いた。

 支えになったのは「打弦楽器を演奏したい」と夢見た幼いころの記憶(きおく)。重ねた努力は、嘘(うそ)をつかなかった。

 「最高の演奏を披露して、お金を払って聴(き)きに来た人に、お金以上の価値(かち)を感じてもらう。それが私の仕事」。筋金(すじがね)入りのプロ意識をばちに込め、斉藤さんは弦を鳴らす。

2014年2月9日 無断転載禁止

こども新聞