(1)奥出雲・鉄穴残丘 大地に刻む特異な景観

ラクダのこぶを組み合わせたような鉄穴残丘。鉄穴流しで削らずに残され、信仰の場として住民に大切にされている=島根県奥出雲町稲原の原口集落
たたらと生きた先人の証し

 中国山地は鉄の聖地だ。そこでは古来、鉄穴(かんな)流しと呼ばれる手法で山を削って採り出した砂鉄と、山で焼いた木炭で上質の鉄を作りだす「たたら製鉄」が営まれてきた。削り取られた山の跡や土砂を活用した棚田が造り出す独特の景観を眺めるとき、その営々たる仕事の偉大さに胸を打たれる。中国山地は、鉄作りにまつわる人々の営みがつくりあげた「まほろば(素晴らしい場所を意味する古語)」だ。今もたたら製鉄の火がともる島根県奥出雲を出発点に、出雲、石見、そして、中国地方を見渡しながら「鉄のまほろば」を訪ねる。


 奥出雲町の棚田を巡ると、奇妙な光景に出くわす。稲原地区の原口集落では、ラクダのこぶを組み合わせたような丘が棚田の中にぽつんと浮かぶ。近づくと、上に墓石が見えた。

 この丘こそ、当地がかつて山であったことを示す大地の記録。一見、何の変哲もない棚田の風景は、奥出雲の人々が中世から近世、近代へと約500年間にわたって、鉄穴流しを営み、丘陵を削り続けて造りだした特異な景観だ。鉄穴流しは、たたら製鉄の原料となる砂鉄を、山を切り崩し土砂を水流に流して採る技法。丘は神聖な場所を守るため、わざと削らずに残した残丘(ざんきゅう)だった。

 同所で農業を営む川島嘉和さん(68)によると、丘の南側にはもともと荒神を祭る杉と薬師堂があり、墓石がある北側は川島家など3軒の共同墓所になっている。

 嘉和さんの父・忠嘉さんが調べてまとめた「川島家記録」から、鉄にまつわる家の歴史が浮かび上がる。先祖の彦兵衛は、飯石郡上山村(雲南市吉田町)の本家・川島家(屋号・鍛冶屋)から来た大鍛冶屋の職人だった。大鍛冶はたたらでできた銑鉄(せんてつ)を熱して鍛え、農具などの原材料となる包丁鉄を作る。彦兵衛はその腕で金をため、江戸時代後期の文化12(1815)年、原口に屋敷と田畑を買い、以降、代々暮らしてきた。

 記録から面白いことが分かる。彦兵衛が購入した田の広さの2反(たん)5畝(せ)3歩(ぶ)に対し、嘉和さんが現在、仁多米のコシヒカリを育てる田は1町歩と4倍になっている。彦兵衛以降、川島家の人々が鉄穴流しで丘を削り、田を広げたとみられる。

 嘉和さんが、幼い頃から慣れ親しんだ棚田や丘が山を削って造られたと知ったのは、奥出雲町の「たたら製鉄と棚田の文化的景観」の調査に伴う3年前。「重機もない時代、人と水の力で田を造るとはようやったものだ」と慈しむ。

 原口集落には九つの鉄穴残丘があり、八つは墓地で、うち一つには古墳の石室が見える。同所の農業、吾郷益己さん(73)は「丘で小便したりすると、家の者が病気になると言い伝えがあった」と説く。それらの残丘を地図に落とすと、南から北へ延びる舌状の尾根(長さ約1・5キロ)の上部の高さを約10メートル削り、平らにしたことが分かる。

 棚田とその周辺の景観から、奥出雲の先人たちが祖先を敬いながら長い歳月をかけ、日々の暮らしの中で自然に働きかけてきた営みの記憶が立ち上る。


クリック たたら製鉄

 粘土で築いた炉に砂鉄と木炭を交互にくべながら燃焼させ、鉄を得る日本古来の製鉄技術。日本の製鉄の開始は弥生時代後期ともいわれ、初期のころは原料に鉄鉱石を使い、後に砂鉄を使う技術が広まった。花こう岩地質に覆われた中国山地は不純物の少ない優れた真砂(まさ)砂鉄の産地で、木炭になる山林資源にも恵まれていた。中国地方の鉄生産量は、最盛期の幕末から明治初期にかけて全国の8~9割を占めたが、次第に安価な洋鉄に押され、1925(大正14)年に途絶えた後、日刀保たたらが復活させた。


クリック 重要文化的景観

 先人が暮らしの中で自然に働きかけ、長い歳月を経て造り上げたものが文化的景観。それらの保存、継承を図るため、特に代表的で優れたものを重要文化的景観とし、2004年の改正文化財保護法で規定された。「城下町の伝統と文化」(金沢市)など全国で44件あり、島根県奥出雲町の「たたら製鉄と棚田の文化的景観」は14年、中国地方で初めて選定された。保存活動をする際には、国の補助が受けられる。


■中国地方に残る製鉄文化(pdf)

2015年1月23日 無断転載禁止