(7)角炉 終戦で炉の火落とす

たたら角炉伝承館として修復された槙原角炉。れんが積みの高さは10.3メートル。太平洋戦争中の1942年4月から11月までの8カ月間で、813トンの木炭銑鉄を生産した=島根県奥出雲町上阿井
昭和10年代の槙原角炉(櫻井家提供)
槙原角炉の操業を終わらせた終戦の日の様子を語る櫻井三郎右衛門さん=島根県奥出雲町上阿井
 1945年8月15日。日本が敗北し、太平洋戦争の終結を告げる昭和天皇の玉音放送が流れた歴史的な日をめぐり、櫻井三郎右衛門さん(91)=島根県奥出雲町上阿井=の記憶は鮮明だ。

 江戸時代に松江藩の鉄師(てっし)を務めた櫻井家は当時、たたら技術を生かした角炉を操業する櫻井製鉄所を運営していた。製鉄所次長だった櫻井さんは自宅近くにある槙原角炉の事務所でラジオ放送を聴いた。

 「戦争は大変だったが、簡単には負けないだろうと思っていた。鉄を造ることが、戦争を遂行するための重要な仕事という認識が強く誇りだった」。そんな思いが打ち砕かれた。「もう軍需産業の鉄は必要ないだろう」。角炉の送風を止め、約300年に及ぶ櫻井家の製鉄の火を落とした。

 櫻井家は1907年、奥出雲で最初に角炉を導入し、槙原たたらの高殿内に築いた。35年には隣接地に槙原角炉を設け終戦まで操業した。山陰両県では奥出雲町の絲原家と鳥上木炭銑(せん)工場(現日立金属安来製作所鳥上木炭銑工場)、鳥取県日野町の近藤家も角炉を持っていた。現在はたたら角炉伝承館となっている槙原角炉と同鳥上木炭銑工場の2カ所に往時の姿が保存されている。

 「角炉はたたらを近代化した画期的な施設だった」。奥出雲町大呂の日刀保(日本美術刀剣保存協会)たたらの村下(むらげ)(技師長)を担う木原明さん(79)が説く。

 角炉は砂鉄と木炭を原料に純度の高い銑鉄を造るたたらを発展させ、広島県の官営広島鉄山で開発された。

 たたらは操業ごとに炉を築いては壊すが、角炉は耐火れんがで炉を造り、連続操業を可能にした。生産量は大幅に増え、品質も洋式技術を上回った。銑鉄はリンなど不純物が少なく、粘り強くさびにくい。これを用いた工具や刃物は長持ちした。

 日刀保たたらに隣接する日立金属安来製作所鳥上木炭銑工場には34年築造の角炉と、52年に技術改良した新型角炉がある。ともに国の登録有形文化財だ。ヤスキハガネの原料鉄を供給するため戦後も稼働。日立金属安来工場に入った木原さんは57年から角炉の操業に携わった。

 だが、大量の木炭が得られなくなる一方、安来工場で新たな製錬技術が開発されたため、鳥上木炭銑工場は使命を終えた。65年8月5日に火を消し施設は閉鎖。木原さんは「角炉に執着と愛着があっただけにとても残念だった」と振り返る。

 この日、たたらとその系譜を引く国内唯一の炎がいったん途切れた。現在残る槙原と鳥上の角炉は、たたらが最後の輝きを放った当時を伝える貴重な産業遺産だ。

2015年3月9日 無断転載禁止