(8)三沢の鉄穴流し 先人の営み誇り育む

かつて鉄穴流しが営まれた峠の一角にたたずむ三沢地区の殉職者を弔う地蔵=島根県奥出雲町鴨倉
戦後まもないころ、三沢地区で鉄穴流しに従事した人たち。集落の女性も砂鉄を背負い山の下へ運んだ(田部光吉さん提供)
 「鉄山智栄居士」。島根県奥出雲町鴨倉の木々に囲まれた峠の片隅に4人の戒名が刻まれた地蔵がある。山を切り崩し土砂を水路に流してたたら製鉄の原料となる砂鉄を得る鉄穴(かんな)流し。4人は危険と隣り合わせの鉄穴流しの最中、命を落とし、地元住民が仲間を弔うために地蔵を立てた。

 鴨倉を含む三沢(みざわ)地区は奥出雲の中でも土中の砂鉄含有率が3~7%と高い。鉄穴流しが法律で禁止される1972年まで行われた。優れた品質の砂鉄は、角炉を備えた同町の櫻井製鉄所や鳥上木炭銑(せん)工場での銑鉄づくりに欠かせなかった。

 友塚喜男さん(89)=同町鴨倉=は昭和30年代の冬、仲間が「鉄穴にうたれた」記憶が忘れられない。作業中に数人が目の前で土砂の下敷きになった。「今助けてやる」。男たちが無我夢中で土を掘ったが、1人が犠牲になった。急斜面の下で男たちが列をなし、山肌を崩す鉄穴流し。友塚さんは「場所ごとに土質が違い、大量の土砂がいつ崩れるか予測が難しかった」と話す。仲間の殉職は2度におよび地蔵に戒名を刻んだ。

 寒波の中でも営まれたつらい作業だけに、仲間との酒はつきもの。犠牲者が出た時は、皆で飲む「まんなおし」をして、仕事を再開した。鉄穴流しに従事した鉄穴師(じ)集団は、家族や親戚が中心で、代表者の名前から「益太郎鉄穴」「達造鉄穴」などと呼ばれた。運命共同体として、絆はとりわけ固かった。

 峠の地蔵には、かつて仕事をともにした三沢の住民や親族たちが手を合わせてきたものの、近年、高齢化に伴い、殉職者を悼む光景も減っていた。

 しかし、奥出雲町の「たたら製鉄と棚田の文化的景観」が中国地方で初めて、国の重要文化的景観に選定されたことに伴い、三沢地区でも住民が鉄穴流しの歴史を掘り起こす取り組みを始めた。

 かつて砂鉄採取に従事した経験者や郷土史家らが2014年秋に「三沢鉄穴流し研究会」(大坂茂会長)を結成。鉄穴流しの操業風景などを写した貴重な古写真を収集し、昔の話を記録し始めた。

 三沢公民館で2月15日にあった、島根大生のたたら調査の報告会に合わせて披露し、90人の住民が集まり、熱心に見入った。

 三沢地区には実際に鉄穴流しを体験した住民らが今も30人近く健在。その証言と記録は、かつて中国山地のあちこちで盛んに行われた営みを知る上でも大切だ。

 研究会事務局を担う田部英年さん(74)=同町三沢=は「経験者が心にしまっていた思い出を語り、住民の関心が高まってきた」と手応えを挙げる。風化しようとしていた記憶は、古里の歴史と先人の営みを学ぶことで地域の誇りを育み始めている。

2015年3月16日 無断転載禁止