輝(き)らりキッズ 牛突き見事な手綱(たづな)さばき

練習会で、手綱をたくみにさばきながら牛を闘わせる吉山元君=島根県隠岐の島町池田、隠岐モーモードーム
伝統継承(でんとうけいしょう)へ心技体磨(しんぎたいみが)く

 綱取(つなど)り最年少・吉山元(よしやまげん)君(隠岐(おき)・西郷南(さいごうみなみ)中3年)

 島根県隠岐(おき)の島町に、約800年の伝統(でんとう)を誇(ほこ)る「牛突(づ)き」があります。牛突きとは、牛を一対一で闘(たたか)わせる闘牛(とうぎゅう)のことで、隠岐では「綱取(つなど)り」という役目の男性が、牛にかけた引き綱をたくみに操(あやつ)って闘わせます。隠岐の島町立西郷南(さいごうみなみ)中学校3年、吉山元(よしやまげん)君(15)も、隠岐のこの伝統を受け継(つ)ぐ男たちの一人で、各大会や観光客向け牛突きで手綱(たづな)をさばいています。

 体重700~900キロの雄(おす)牛がぶつかり合う、隠岐の牛突きは、1221(承(じょう)久(きゅう)3)年の承久の乱(らん)で敗れ、隠岐島へ流された後鳥羽上(ごとばじょう)皇(こう)を慰(なぐさ)めるために行われたのが起源(きげん)とされ、牛の放牧が盛(さか)んな隠岐郡内でも同町にしか残っていない貴重(きちょう)な伝統文化です。

 隠岐で牛突きにかかわる人たちは保存(ほぞん)会をつくり、吉山君のような後継(こうけい)者を育てています。町内の3保存会でつくる全隠岐牛突き連合会(村上芳雄(むらかみよしお)会長)によると、闘牛は黒毛(くろげ)を中心に約60頭、綱取りは吉山君を最年少に10~40歳(さい)代の男性が20~30人いるそうです。

 吉山君が牛突きに関心をもったのは5、6歳ごろ。町内で暮(く)らす、母親の吉山ちとせさん(46)方の祖父(そふ)、田中井秀和(たなかいひでかず)さん(76)宅(たく)では昔から突き牛を育てており、物(もの)心(ごころ)ついた時から祖父方の牛と触(ふ)れ合っていました。その突き牛が出場する大会に何度も見学に行きました。

闘いが終わった牛の引き離しに加わる吉山元君(中央)=島根県隠岐の島町池田、隠岐モーモードーム
 吉山君は「牛突きを見物するうち、いつか自分も牛と土俵(どひょう)に上がりたい」という思いが次第に強くなり、綱取りになる決心をしました。子牛を操(あやつ)るけいこに始まり、手綱さばきや牛の世話を重ねるなど努力し、小学校6年時に綱取りとしてデビュー。「練習会などで先輩(せんぱい)綱取りから学んだ心技体(しんぎたい)」(吉山君)で、中学1年時には早くも横綱突き牛の綱取りもつとめるなど大人たちに交じって活躍(かつやく)しています。

 吉山君は「牛が好きでなければできません。危険(きけん)も伴(ともな)います。その日の体調に合わせた闘い方など、まだまだ勉強が必要です」と力を込(こ)めます。国内では岩手、新潟(にいがた)、愛媛(えひめ)、鹿児島(かごしま)、沖縄(おきなわ)各県などでも闘牛が行われ、2018年には各地の闘牛や関係者が集う全国闘牛サミットと牛突き大会の開催(かいさい)が隠岐の島町で予定されています。

 吉山君は一緒(いっしょ)に伝統を受け継ぐ若い仲間が現(あらわ)れるのを待ちつつ、「他地域(ちいき)の闘牛との対戦も楽しみです」と、新たな交流に期待を寄(よ)せています。


≪プロフィル≫

【好きな科目】体育

【好きな食べ物】焼き肉

【好きな言葉】心技体

【将来(しょうらい)の夢(ゆめ)】隠岐で働き、牛を飼(か)うこと

2015年3月18日 無断転載禁止

こども新聞