(9)たたら製鉄の仕組み

 世界で唯一、たたら製鉄を続けている島根県奥出雲町大呂の日刀保(日本美術刀剣保存協会)たたらは、日本刀の原料となる品質の高い玉鋼を製造している。山の土から採れる「砂鉄」と、木を焼いて作る「木炭」と、炉を造る「土」など自然界に存在する原料を巧みに使い、理にかなった昔ながらの製法を、村下(むらげ)(技師長)を中心に今も大切に守っている。たたらのメカニズムを特集で紹介する。


これがたたらだ!!【イラスト(pdf)】


 砂鉄は、自然界では酸化鉄の状態で存在している。酸素の流入が制限された炉内で木炭が燃えると、一酸化炭素が発生して、砂鉄と反応。酸化鉄から酸素が離れる「還元」が起き、純粋な鉄になる。

 炉の内壁の形状は当初は底になるほど狭くなり、底の幅は15センチほどの溝状になっている。その後、玉鋼を含む■(金ヘンに母)(けら)は次第に成長していくが、同時に砂鉄に含まれる不純物が炉壁の土と反応。壁面を溶かして「ノロ」と呼ばれる鉄滓(てっさい)となり、炉の下部に開けた穴から順次炉外に出ていく。つまり、「■(金ヘンに母)の成長」と「炉壁の溶融」が同時に進行しているのだ。

 村下は炉の脇に開けた「ホド」に道具を突き刺して内部の状況を分析。■(金ヘンに母)の大きさや状態を見極めた上で、砂鉄の投入場所を調節している。

 村下の木原明さん(79)には、■(金ヘンに母)が成長するときに発する「ジジッ、ジジッ」という音が聞こえる。炉内は炉心部で1400度以上に達する。高温を保つ秘訣(ひけつ)は「風」だ。炉の左右に20カ所開いたホドに真竹で作った「木呂(きろ)管」を通じて、空気を送り込む。「フー、フー、フー」。送風機が刻む一定のリズムは3昼夜にわたって続く。

 3昼夜(一代(ひとよ))の操業で、砂鉄約10トン、木炭12トンを使い、2・5トンの■(金ヘンに母)ができ、玉鋼が採れる。


たたらの地下施設の模型=島根県奥出雲町横田、奥出雲たたらと刀剣館
地下3メートルに広がる床釣 保温と防湿に効果

 砂鉄を製錬するため、たたらの炉内を1500度もの高温に保つには「床釣(とこつり)」と呼ばれる地下3メートルに達する巨大な地下構造が必要になる。

 地下構造には、製鉄炉(釜)から地下に逃げる熱を遮断する「保温」と、地下からの湿気を防ぐ「防湿」の二つの効果がある。

 炉の直下には木炭を敷き詰めた「本床(ほんどこ)」がある。その下層部には砂利や木炭などを何層にも敷き詰め、最下部に排水溝を設ける。本床の左右には、トンネルのような構造の「小舟(こぶね)」が設置される。

 本床と小舟の高さが同じものが「同床型」、本床の底面が小舟の底面よりも高いものを「高床型」と呼ぶ。島根県は高床型が多くみられ、同床型は鳥取県や岡山県に広がる。

 日刀保たたらでは2015年の操業を前に、38年ぶりに床釣を改修した。



「中国地方のたたら製鉄が日本の歴史の中で大きな役割を果たした」と位置付ける角田徳幸さん=松江市殿町、島根県古代文化センター
江戸期大量の鉄供給 中国地方 日本の発展に貢献 たたら製鉄研究角田さんに聞く

 江戸時代、中国地方のたたら製鉄で造られた鉄は、日本の鉄生産の8割から9割という圧倒的な量を占めた。たたら製鉄の研究で文学博士号を修得している島根県教育委員会文化財課企画幹の角田徳幸さん(52)に、たたらが果たした役割や技術の広がりなどを聞いた。

 -研究のきっかけと面白さは。

 「県に入って間もない1989年、浜田道の建設に伴い今佐屋山遺跡(邑南町)を発掘調査したところ、古墳時代後期の6世紀後半、砂鉄を原料にした県内最古の製錬所跡を発見する好機に恵まれた。従来、たたら製鉄はどこでも同じとされていたが、奥出雲、石見、伯耆、広島の地域により個性が強いことが分かってきた。地理的条件の違いに応じた生産をしている。奥出雲と伯耆は山のたたらだが、石見は日本海と江の川の沿岸に立地し原料と製品を船で運んだ海のたたらだ」

 -役割をどうみる。

 「『鉄は国家なり』と言われたように鉄は国づくりに欠かせない。中国地方のたたらが江戸期、圧倒的な量の鉄を供給したことで、日本の歴史の中で大きな役割を果たし社会の発展に貢献したと実感できる。鉄は農具や鍋、釜、武器などに使われ、鉄のない生活は考えられない」

 -たたらの定義とは。

 「木炭を使う箱形炉による砂鉄製錬技術だ。古代、吉備に原型ができ平安時代終わりから鎌倉時代初め、豊富な砂鉄と森林を求めて中国山地に人々が入り生産地ができた。さらに室町時代、たたらの施設で最も重要な本床、小舟といった地下構造の原型が石見、安芸で生まれた。たたらでは湿気が上がると、炉の温度が下がり鉄ができない。地下という見えない場所での技術革新によって安定操業や炉の大型化ができ江戸期の近世たたらにつながった」

 -日本固有の技術か。

 「そうだ。2002年、韓国に1カ月滞在し国内を回り、製鉄遺跡を見て研究者に聞いた。朝鮮半島と中国では同じ物は確認できない。向こうは鉄鉱石を原料に用いる。中国地方では豊富な砂鉄を原料とした。砂鉄は鉄鉱石より採取に手間がかかるが、できた銑鉄はリンなどの不純物が少なく、粘り強くてさびにくい。明治期には鋼を造る原料となり、呉(広島県)の軍需工場で軍艦の装甲板や大砲の砲身になった」

 -技術の広がりは。

 「江戸時代には奥出雲や伯耆をはじめ、石見の山間部と沿岸部、広島県北、岡山の備中や美作、兵庫の宍粟郡、山口でたたら製鉄が営まれた。同時代、中国地方と東北の南部地方が日本の二大鉄産地だったが、中国地方が圧倒した。

 さらに面白いのは幕末に各藩が軍備に力を注いだため、石見のたたら職人が薩摩や佐賀、土佐、長州に赴き、たたら製鉄に携わった。一般的なイメージで、たたら製鉄は江戸時代で終わったと思われている。しかしその実態は軍事を含めて、明治、大正時代まで続き、近代日本の国づくりを部分的に担った」



企画「鉄のまほろば」これからの紙面展開 鉄師の足跡訪ねる

 鉄穴流しのために削られた山とぽつんと残された鉄穴残丘、崩した土を巧みに利用した棚田…。写真連載企画「鉄のまほろば」は、島根県奥出雲町が2014年、中国地方で初めて「国の重要文化的景観」に選定されたことを機に、たたら製鉄が同町の景観形成に与えた影響の大きさを伝えた。

 さらに1~2月に同町大呂の日刀保たたらで行われる「たたら吹き」の現場を訪ね、伝統を守りながら、品質の高い玉鋼を作り続ける人たちの姿を追った。

 3月30日付の第10回から、取材班はたたら製鉄を担った鉄師を訪ねる。出雲国で御三家と呼ばれた田部家(雲南市)、絲原家(島根県奥出雲町)、櫻井家(同)のほか、石見や鳥取でかつて大規模なたたら製鉄を営んだ家は数多い。

 鉄がもたらす莫大な富は、ときに地域のインフラ整備に充てられ、多くの人の暮らしも豊かにした。鉄師の歴史をたどる取材は、たたらの存在の大きさと中国地方における広がりを確かめることになる。

2015年3月23日 無断転載禁止