(9)鉄穴流し最後の地

1972年まで砂鉄採った三沢(奥出雲) 従事者30人語り継ぐ
戦前の三沢地区で営まれた砂鉄の比重選鉱。砂鉄を「おい箱」に背負って運ぶ女性の隊列が奥に見える。左側の帽子をかぶった男性は源幸栄さんの祖父勇助さん(吉川佳司さん提供)
三沢地区で砂鉄の比重選鉱が行われた場所の現在の姿。かつて水路のあった辺りに農業用水路が整備され、左上に生活道が通っている=島根県奥出雲町鴨倉
鉄穴流しで採集した砂鉄の引き上げに従事する女性たち。右が松本儀江さん(1961年撮影、友塚喜男さん提供)

 1972年まで、山を切り崩して製鉄の原料の砂鉄を採取する鉄穴(かんな)流しが営まれた島根県奥出雲町三沢(みざわ)地区は、作業に従事した30人が今も健在だ。往時を語る当事者の話や古い写真から、鉄穴流しが今も人々の心に息づいていることをうかがい知ることができる。

 三沢地区には、現在も鉄穴残丘(かんなざんきゅう)の近くに「鉄穴」「鉄穴内」などの地名、屋号が残る。同町鴨倉の源幸栄さん(79)の畑も、元は櫻井家に砂鉄を納める鉄穴場だった。戦前の写真には、砂鉄を比重選鉱する水路横で祖父・勇助さんが当時の櫻井家当主とともに写っている。

 当時、源さんは小学生。自宅は春の鉄穴仕事終了後の打ち上げの場になった。「『きょうは櫻井のだんさんが来る』と一張羅を着せられ、子どもながらに気恥ずかしかった」と記憶をたどる。

 畑の脇には、櫻井家が建てたという鉄の神・金屋子神のほこらがある。「祖父や父が頭を下げる姿を見て育った」。老朽化したため、自費で修理。野良仕事に出掛けると必ず手を合わせる。

 雲南市木次町山方の松本儀江さん(83)は若い頃、砂鉄の引き上げに従事した。大量の砂鉄が採れたことを指す「大抜け」の時、住民の喜ぶ姿を思い出す。

 冬場の仕事はつらかったが「近所にお嫁に来た仲間と休憩小屋で昼食の暖を取り、互いのおかずを交換するのが楽しみだった」と懐かしむ。

2015年3月23日 無断転載禁止